シクアニの光と影
標高3340Mのクスコから保健省の車に乗って、チチカカ湖のあるプーノの方向を目指しました。目的地は140km離れたシクアニという街です。
ここは、10年前まではセンデロ・ルミノソ(輝ける道)がゲリラ活動をしていた危険地帯です。その暴力被害者の面接に出かけ、その地域で何ができるかの検討に入りました。
シクアニに行く途中の風景はまさに「アンデス高原鉄道」の風景。そうシクアニはアンデス高原鉄道の途中の街なのです。15年前、南米を長く旅した記憶が蘇ってきます。そしてシクアニに入ってびっくりしました。「地球のステージ」の南米篇で、ケーナを吹く盲目の男性が出てくるが、まさにあの駅がシクアニだったのです!
15年前といえば、ゲリラ活動は非常に活発な時代。知らなかったとはいえ、危ないところをのんびりと旅していたんだと思いました。そして同時にあの南米篇で映し出される広大なアンデス山脈の風景の裏側では、ゲリラ活動で混乱する人々の暮らしが隠れているんだと思い、今後南米篇を見る時にはそんな意識を持ってみてみようと思いました。
さて、シクアニ病院は80床の病床数を持ち、内科、外科、小児科、産婦人科を中心とする中核病院です。医師数は15人で、カバーエリア人口は17万人ですから、絶対的な医師不足です。しかも精神科医はおらず、臨床心理士のカーヨさん、27歳がこの17万人の心の問題を一人で担っています。「心のケア」の充実はまだまだほど遠い話しなのです。
それでも、1990年代前半まで激化していたテロ活動の被害者は多く、ゲリラ側と政府側の対立の狭間に入って人々は振り回されてきました。
ゲリラ側の人間と疑われて政府軍に弟を殺されたタクシさん、52歳。ただ普通に農業を営み暮らしてきただけでしたが、他の住民の心無い通報で弟はゲリラのスパイとして1990年4月8日の深夜、政府軍に殺されました。同じ部屋で寝ていて命からがら逃げ出したもう一人の弟は、今もその時の出来事にさいなまれて、外にでられない状態が続いています。
現在タクシさん一族は、シクアニにある人権擁護NGOの助けを借りて、ゲリラとは関係なかったという名誉の復活を試みていますが、心の傷については全く誰にもケアされてはいません。弟が殺されたその部屋を、翌朝見た時の記憶、血が飛び散り、壁にたくさんの銃痕。みながショックを受けているので、自ら警察署に出かけ、地元放送局の記者の助けを借りて、この殺人が間違いであることを主張し、弟の遺体を返せといったことで見せられた、ベッドの下に隠されていた無残な弟の死体の記憶。
全てが今も悪夢として繰り返し再現され、仕事をしていても突然目の前にまるで映画を見ているように再現される「フラッシュ・バック」。戦争映画や、戦うシーンが出てくると、途端に気分が悪くなり、それ以上そのテレビ番組は見られなくなる「回避」の症状など、典型的な「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」がタクシさんを襲っています。
あれから15年が過ぎてもなお、人々を苦しめるトラウマを今後はちゃんとケアしていかなければなりません。シクアニは今回の3年の事業の中でも重点モデル地域であるので、しっかりとしたシステム作りに尽力したいと思います。
タクシさんの事件があった5ヶ月後、僕はそこを「アンデス高原鉄道」に乗ってビデオを回していました。それから15年、ただ美しいだけの「南米」がまた別の意味で迫ってきています。
南米篇は「地球の美しさ」を表現したくて創りました。
でも、そこにもやはり人々の苦悩があり、暴力があり、トラウマがあります。美しいアンデスの風景の裏にある、こういった事実を噛みしめながら、このペルーの仕事は続いていきます。
次は8月の渡航予定です。
桑山紀彦
リマ
(注)タクシさんには写真の掲載、事件の概要に関してHPに掲載することの承諾を頂いています。 |