14年前初めて訪れたペルー
首都のリマも田舎風で、優しい日系人たちの住む、静かな国でした。その良さは今も残ってはいるけど、結構都会になったものです。高層ビルが建ち並び、高速道路が走るその光景はこのペルーの国も着実に発展している証拠かと思いました。
しかしその一方で、つい数年前までは活発に活動していた反政府組織「センデロ・ルミノソ(輝ける道)」も今は鳴りを潜め、一応治安的には落ち着いている感じがします。それでも盗みなどは横行し、昨日も同僚のコンサルタント会社の仲間が、僕の横においてあったバックを食事中盗まれ、中にあった2000ドルは消えてしまいました。
さて、現在のペルーの人口は2000万人、そのうち7万人がそういったゲリラのテロ攻撃の犠牲になり、今もトラウマを抱えているといいます。その被害者の人々に何が出来るのか、3年間の巨大プロジェクトがJICAの名の元に「システム科学」というコンサルタント会社の主導で始まりました。
テロの被害者は至る所にいます。
今日はリマ東部のワイカン地区に出かけました。貧困地域です。
ここには、ゲリラの居住区に住み、身体的、精神的にダメージを受けて逃げてきた人たちがたくさん住んでいます。その一人、マリッツアさんを訪ねました。マリッツアさんは写真や名前が出ることを承諾してくれました。
彼女は1990年の夏、ゲリラがターゲットとしていた判事の家の、たまたま横に住んでいたのです。そしてゲリラがその判事を殺害するために投げ込んだ爆弾を「何か?」と思って拾い上げた瞬間に、爆発し、両手と当時2歳だった子どもを失いました。夫はケガの回復を待たないで失そう、マリッツアさんは4人の子どもを両手がない状況の中で育てなければいけませんでした。
手を失っても早いうちであれば、まだその末端の部分に筋肉が残っているので技手などをはめると結構細かい動きが出来たりするものですが、お金がなかったことと、やはり情報から隔絶されていることなどが災いして、そのまま放置してしまいました。今では前腕の筋肉はほとんどなく、義手も合わないであろうと予測されました。
そんなひどい目に遭っている状況の中で、この地域の婦人団体は協力してマリッツアさんを支援しています。強いネットワークが存在し、お金はなくても出来ることでマリッツアさんを支えようとしているわけです。
しかしまだまだトラウマや心のケアに対する理解は少なく、話を聞いてくれる人は少なかった…と、やはりその場でも泣いてしまわれました。
トラウマのケアの仕事は、ほとんどが「聞いてくれる人を探し、育てる」ということがその仕事の中心になります。つまりそれは「語りと癒し」という、心の傷を癒すにあたって2番目に位置する方針を強化することになります。今後3年かかってそういった「聞いてくれる専門家」をどこまで増やせるかが桑山の仕事内容です。
「地球のステージ」に登場するような劇的なドラマや出会いはありませんが、これも一つの国際協力の形だと思っています。
今後とも、応援下さい。
桑山紀彦
2005年4月22日
リマ市
ペルー共和国 |