|
第2回目の東ティモール緊急医療救援活動報告
| バイロピテ診療所よりリアルタイムで活動状況をお知らせします |
現時点における東ティモールの課題
現時点で考えられる東ティモールの課題は大きく分けると以下の通りであろう。
1)人材、モノ、社会資源の圧倒的な不足
2)教育機関の欠如
3)外国資本への依存、海外支援組織などへの依存
4)インドネシアとの関係
1)人材、モノ、社会資源の欠如
いまだディリ市内でもよく停電する。夕方の6時に電力が落ちてそのまま朝まで回復しないという事態は珍しくはない。
また水の供給は全くといっていいほどなく、各家庭はいまだ井戸水に頼っている。ホテルや諸機関なども昼のうちに水をタンクにくみ上げておいて、それを利用するという状況である。従って、インフラの整備が緊急課題である。
一方でオーストラリアなどからモノは入ってくるようになった。しかし日常生活用品が中心で、まだまだ値段が高い。
そして最悪なことに、ゴミの処理などのシステムが全く出来ていないため、海外から持ち込まれたポリ容器などは道端に放置されているような状況である。
コカコーラはどこでも飲めるようになったが、実はそれを回収したり、ましてやリサイクルするようなシステムは全く存在しないのである。それでどうなるかといえば、結局道端や空き地に放置されていくという状況が生まれていくのである。
今のディリはまさにそれである。
バイロピテに見られるように、医療を担う専門家は極端に少ない。たとえば医師はいまだ27人と伝えられている(一説には35人という話もあるが、大した違いではないように思われる)。では、その医師を育てる大学医学部があるかといえば全くないのである。どうやってこの国の「東ティモール人医師」を増やすといいのか・・・。少なくとも国連の暫定統治下にあったカンボジア(92年〜)でも、プノンペン大学に医学部があり、その卒業生はさまざまなNGOと関わって場合によっては日本に留学し、祖国へ帰ったのち、現在もその医療の発展に寄与している若き青年医師もいる。その意味においては、東ティモールは今後大学医学部を設置し、そこから医師を輩出しなければならないのである。一体どのくらいの年数がかかるのだろうか・・・。この点は非常に気になるところである。実際、インドネシアの大学医学部に行っていて、やむなく休学しているバイロピテ診療所の医学生(6人)についても、2人を除いて復学は不透明である。7月より戻れるかもしれないアイダ、ファティマはいいが、ジュリア、ジョーは不明。ユーディとエリアは家族が昨年の騒乱でなくなり、金銭的な面で復学を断念している。
医師だけが衣料を担うものではもちろんない。しかし、少なくともその医師の絶対数はいまだ増える可能性がないことは厳然たる事実なのである。
2)教育機関の遅れている復興
先にも述べた大学機関などはもちろんのことだが、各地域の小学校や高校の破壊もすさまじい。現地に駐在を置く5つの日本のNGOの中で小学校の修復を行っているPARCパルク:アジア太平洋資料センター)によれば、実に8割以上の学校が破壊されたという。そしてまともに授業できるところは3割程度。みんな青空教室や、小さな公民館などを利用して学習を続けているという。国つくりにあたって非常に大切なこの「教育」の立ち遅れは最小限にとどめなければならない。ポルトガルの医療系NGO,AMIは看護学校の復興に助力しているが、実際に臨床の研修などを受け入れる機関が少なく、「実践」を重要視する医学において、物足りない教育状況となってしまっている。
3)外国資本への依存、海外支援組織などへの依存
現在東ティモールは国際救援機関(国連系、各国政府系)、国際NGOのラッシュである。実にNGOだけでも既に200以上が現地駐在を置いているといわれ、その配置分布も非常に複雑である。
日本のNGOラッシュとなったカンボジアも、最大で30に近い日本のNGOが入った時期があったが、現在東ティモールに駐在を置いているNGOは5つ。数的には少ないものの、JVC(日本国際ボランティアセンター)なども今後展開を予定しており、再びカンボジア的にNGOラッシュになる可能性がある。
そこで起きているのが、圧倒的なその支援への依存である。英語の話せる人材はすべてといっていいほどそういった国際機関で働いているため、学校の英語教師がみんないなくなったとの報告があるくらいである。そして各国からこぞってやってきた諸機関、NGOからは専門家という人たちがたくさんやってきて、東ティモール人は完全な「通訳」として働かされている。本当は海外からやってきた専門家はそういった英語の話せる東ティモール人に何かを「伝える」という志向をもって接するべきであるのに、自分がまずその地で活動することを第一義にしている可能性が高い。
それはバイロピテに1週間だけやってきた沖縄駐留米軍の歯科医チームの一件を見ると明らかである。
そして正直に言うならば、桑山だって、ましてやダン先生だって、実は常にこの問題のぎりぎりのところにいる。自分にある程度の知識がある場合、それを現場で実行することで実は自己完結してしまうからだ。それを避けようとするならば、東ティモールの人々の「教育」や「依存のない関係」に役に立つとは思われるが、その支援の効果のほどが遅遅としているように感じられて、なかなか実行できないものである。
「役立つんなら私がしましょう」という思考で外国からの支援が行われている現状では、なかなか東ティモールの人材育成や、依存のない関係の構築には難しいということになってしまいかねないのである。
それは支援を目的とする機関だけではない。経済活動を目的に多くの企業がこの国に入ってきている。日本の企業しかりであるが特に目立つのがオーストラリアの存在だ。東ティモールでは携帯電話が容易に通じる。それはオーストラリアの電話会社が鉄塔を立ち上げ、海中ケーブルでオーストラリア国内と結んだためにオーストラリア国内と同じ状況が生まれたのである。このたびようやく東ティモールの国番号670が復活した。バイロピテ診療所も昔の電話番号が復活して電話がなるようになったのだが、なんと桑山が持っている携帯電話からバイロピテに電話する場合は、国際認識番号の0011をダイヤルし、東ティモールの国番号670をダイヤル。そしてディリの市外局番390をダイヤルしてようやく通じるのである。
バイロピテ診療所の中から、すぐ横の電話にかけるのに国際電話をかけるのである。もちろんこのオーストラリアの電話会社が携帯を通じるようにしてくれたから、この記事も写真もムービーもすべて送信できたわけであるが、これでは東ティモールの電話会社が育たない。結局はオーストラリア資本に依存していく構図が出来上がっていくわけである。
携帯電話の是非はともかく、何もないとこからの出発であるこの東ティモールの経済状況を考えれば、すべてが他人によってまかなわれる「完全介護状態」になってしまうこともありうる。
主要産業にあげられるコーヒー豆。
これは昔インドネシアに安くたたかれていた。しかし今年からはオーストラリアにひどくたたかれているという。いつもの3分の一の値段での取引になってしまっているようだ。結局インドネシアの国内での集荷や加工よりも、オーストラリアので集荷や消費の方が圧倒的にコスト高であるために、このような事態になってしまっているようだ。インドネシアよりもオーストラリアの方がよりシビアであるといわざるを得ない。もちろんだからといってこの小さな国での他国の経済活動を制限するべきだという論調ではない。大切なことは国内産業を育てるような形での対応が必要であるということである。それはいきなり国際競争力を突きつけて、安くたたくのではなく、ある一定期間ではあっても保護的に国内産業の充実を図るような対応の仕方をしていくべきだという意味である。
「東ティモールの産品は割高だってさ」
「なんで?」
「だって、今独り立ちしようとしているんだからさ、少しは”協力の姿勢”でいかなきゃね」 といった会話で、経済活動を保護していってほしいものだと思う。
今後のIVYの方向性
今後のIVYの方向性は空くまでこのバイロピテ診療所と関わっていくという一本である。人材派遣、薬剤や機材の提供をとりあえずは今年の課題としてあげていく方針である。
しかしその一方で、バイロピテの診療所を支えている外国人スタッフの人件費がそこをついている事実。家の経済的な理由で医学部への復帰をあきらめかけている2人の医学生への奨学金などの検討も課題として上がってきている。
大切なことは、支援を目的として集められたお金をどうすれば最も有効に現地を支えるために使えるかだ。しかしその答えは簡単である。お金だけ送ればいいのである。ところが、それはNGOとしてのIVYのあり方ともまた違う。ここが最も重要な部分だ。
私たちは市民活動をしている。
それは草の根っこのような活動だ。その意味とは、このバイロピテ診療所とのかかわりをきっかけに多くの日本人に、この東ティモールという国への興味や関心をもってもらうことを目的としている。
ダン先生の生き様。医学生たちの姿。踏みつけられるだけ踏みつけられて名前も知らせないままに死んでいく患者さんたち・・・。
そんなことを日本に届け、そこから「自分」と「世界のつながり」のようなものを感じていってもらうこと。それも市民活動としての役割であろう。
だから桑山は行く。桑山の渡航費と同じだけの金額を現地に送金すればそれなりの薬は買えるだろう。しかし、それはNGOとしてのあり方ではないと思う。草の根っこのような情報、それこそ「身近な、自分の回りでもありそうな情報」を伝えていくことで、「なんだ東ティモールも、日本と似たところがあるじゃないか」とか「ええ?そんなことは日本では考えられないな」といった情報を届けていくことで、自分と世界のつながりを作るための糧にしていってほしいと願っているのだ。
いつの日かスタディツアーも計画したい。
「遠い国の話し」ではなく「自分が見てきた国の話し」として語れるようなスタディツアーだ。そうして「日本だけ平和ならいいよ」という志向ではない人たちが次は自分の行動を起こしていけばいいのではないだろうか。
NGOとしては、そのきっかけに少しでも寄与したいと思っているのである。
ダーウインに出国して常宿の温水シャワーに触れた瞬間、思わず桑山は、「いや〜、お湯は人類の最高の友だちだなあ!!」と叫んでしまった。日本に住んでいればあたりまえに手に入る水と電気を使ってお湯は作られる。どちらも滞っている東ティモールの水浴びの毎日を思い出したものだ。
こういった小さな気づきこそ、今の日本を見直すきっかけになったりするものであろう。
次回の派遣がまた決まったらホームページ上でお知らせします。
皆さんの身近なところで「地球のステージ」の公演がありましたらぜひおいでください。
「東ティモール篇」だけでなく旧ユーゴ篇やフィリピン篇をお楽しみに。
桑山紀彦
ディリより
出国直前まで診察
日曜日も休まないダン先生にくっついて、今日も朝から病棟の回診である。昨日の夜、乱闘騒ぎで頭を石で殴られた女性は、結局国際 赤十字の病院へ運んだ。おそらく頭蓋骨陥没骨折で意識はなかなか戻りにくいかもしれない。髄液が流れ出ていた。
結核の患者さんが増えてきていて、病室に2人以上置くのは危険である。タンを培養して調べ、結核の菌が吐き出されていたら、クル フン地域(ディリ市内)にある結核病棟に移送するしかない。
そんなことをしていたらあっという間にフライトの時間が近づいてきた。
別れは4人の医学生とダンに、病院での見送りだった。
ダンに言われたことは、「おまえは良いハートをもっている。テトゥン語を話そうとする医者はおまえくらいしかいない。患者さんを診るときに、必ず腰を低く する。医学生や病院のスタッフに好かれている。どうだ、このまんまここに住まんか・・・」
う〜ん、かなり買いかぶられているなあ。ホントはただの直線突っ走りオトコなだけどなあと思いつつ、身に余る光栄とはこのことだ が、ダンはちゃんと僕が日本で何をしようとしているかを知っている。だって、ビデオまで見せに行ったのだから、地球のステージ の・・・。ステージは東ティモールにいては出来ない。この葛藤には激しいものがあるが、それでも、日本という国の中で何ができる かも、僕にとっての重要な課題である。それはダンにも手紙を書いたのでわかってくれているようだ。だから冗談で、そういっている のだ。
「アメリカ人はその多くが自己中心的だ。自分のことや自分の国のことだけで、こんな小さな国のことにはほとんど興味はもっていな い。基本的に自分たちが世界に君臨しているという意識さえもっていられればいいのだ。ここへ来るアメリカ人の医者も、多くが英語 を当然のように話し、わがスタッフと”通訳!”と呼び捨てにする。そんな医者には来てほしくない。来週からくるというイェール大 学の7人の医療チームも、結局は研究が目的ということが、ここへ来てわかった。だからおまえのその草の根っこのような志向がとて も貴重だと思う。その姿勢を大切にしろ。草の根っこでいいんだオレたちは・・・。」
常に名言を吐くダン先生であったが、またここへ来て励まされた。
すぐにまた来ますとしか言えず、こうして去っていく自分を心から申し訳ないと思った。また見捨てて帰るような気持ちでいっぱいに なっていた。
ダーウインのビッキー医師
ダーウインのビッキー先生にあった。なんと本名がビッキーであった。お年は50まじかの温和な先生。一人で開業を営み、アロマセ ラピーなども行っているユニークな内科医だ。
今回のシグマ(薬局)経由の緊急薬剤支援も、ビッキー先生が手配し、飛行機に載せてくれた。通常6週間ほどかけて運ぶものを、2 日程度でやってしまうのは、やはり地元の医師だからだろう。
今後このダーウインのビッキー先生をひとつの中継点として支援をしていくことが望ましいように思われる。薬の手配や輸送、医療機 材の買い付けや通関などもみんなビッキー先生がしてくれるという。ダーウインはその意味で今後も中継地となりうるだろう。
今後この東ティモール支援がどのように進んでいくかは、またホームページで逐次報告していきたいが、こんな関わりも国際支援活動 の貴重な財産である。
大切にしていきたい。
長い間のご愛読、ありがとうございました。帰国後、総まとめを掲載し、第2回の支援活動の締めくくりとしたいと思っています。
膨大な記事と写真、ムービーを受け取り、一人でページを構成してきた当方倶楽部事務局の後藤明子に感謝したいと思います。 |
バイロピテ日記 6/24
ついに最終日を迎えた。
半月はあっという間といいたいけれど、やはり中盤で非常に辛かった。テトゥンが話せないということでみんなに迷惑をかけているんじゃないかという思いがつのり、辛かったのだ。しかし後半で急激に臨床のテトゥン語が通じるようになり、患者さんたちのしゃべるテトゥン語もどんどん耳になじんで理解できるようになっていったため、仕事が順調になっていった。
そして皮肉なことに、これからテトゥン語がもっと使えるようになるかも・・・というところで帰国である。半月なんて、支援の中では全く短いほうなのだ。
しかし自分には日本の病院での日常の仕事がある。NGOの医者として食べていければいいが、現状はそう甘くはない。こうやって短期で行ったり来たりの支援活動なのだろう。ずっと・・・。
でもそこにも意味があると思っている。それは日本にこの現状を伝えていくという仕事である。
それが「地球のステージ」だ。どんなにダンが立派でも、バイロピテが発展してきていても、そのことを知らせる人間がいなければ「世界の片隅で忘れ去れれていく」のだ。それはもったいない。ここにこんな人たちがいて、こんなふ うに生きているということを、やはり「見たものの責任」として日本で伝えていくことが大切のように思う。それこそ、自分の役割だ。これからの地球のステージにおける東ティモール篇はますます力が入るだろう。
今日までの1週間米軍の歯科医チームがバイロピテにいた。彼らは膨大な機材を空輸して沖縄から持ち込み、このバイロピテの一室で歯科診療をした。驚いたことに軍服を着て、腰には銃が下げられていた。彼らはその姿で診療をすることが義務付けられているらしい。ダンも僕もそれを嫌っていた。病院にどうして軍服が、そして銃が・・・。冗談で病院のスタッフが「歯を抜く時に痛くて泣く子どもを銃で脅すんよ」といっていたが、それはぜんぜん冗談ではない。この国の人がどれだけ銃や軍服で嫌な思いをしてきたのかを知らないのだろうか。しかも病院に銃を持ってはいるとは・・・。
僕は話をして、診療中は銃を戸棚にしまってもらうように依頼し、彼らは笑顔でそうしてくれた。しかし身辺1m以内には置いているという姿勢を崩さない。彼らも悪い人では全くない。技術もしっかりしている。しかしこれは多国籍軍の人道的支援の一環で行われるもので、軍隊も人道支援をしますというプロパガンダなのである。しかし所詮軍隊は
歯科医のチームの診察
軍隊なのだ。ヴェトナム戦争の徴兵を拒否して投獄されかけたダン先生は
さぞ嫌であったろうが、患者さんが多くて彼らと話す暇もない。
しかしもうひとつ感じたことは、こういったタイプの支援だと、彼らがいなくなった後に、誰も同じ治療を提供できないことである。結局彼らはバイロピテの医学生に何を教えるわけでもなく黙々と治療をし、機材をひとつ置いていくわけでもなくすべて持ち去って帰っていった。来週からうわさを聞きつけてきた人にはなんと説明すればいいのか・・・。
「不運でしたね」で終わってしまう。
風のようにやってきて、風のように去っていくことがこんなにも現場においてむなしいことを改めて知った。自分がそうならないように十分注意するべきと痛感したのだった。教育である。診療よりも教育。
自分がいなくなったときのことを考えて行動するという、NGOの世界では常識のことも多国籍軍の中では浸透しておらず、やってきて、何も教育に協力せず帰っていった。
7時を過ぎてようやく土曜の診療が終わった。最後は流産の 女性を緊救命病院に送るという仕事だった。どっと疲れてダ ン
の診察室で写真をとった。
ダンはいつものように背筋を伸ばしているのに、桑山はへた っている。
最後にダンに聞いた。
「ここにそんなふうにいられるエネルギーは何?」
「ここの人たちが好きなのさ。その人たちと関われるというこ とはうれしいものだ」
う〜ん、やっぱり前回とぜんぜん変わっていない。
この生きざまを伝えるためにも、地球のステージを続けてい きたいものだ。

ダンと二人で・・・今日も忙しかったな
|
バイロピテ日記 6/23
薬が届いた!!
今日はうれしい日だった。なんと薬が届いたのだった。そこにはリクエストした薬がちゃんとあった。まず解熱剤。しかも注射剤だから即効性がある。これは入院している
人に有効だ。そして抗生物質のシロップ。これは小さい子どもにとってもいい。現時点では大人用のものを目分量で測ってあげていたので、なんとも危なかった。それをしなくてすむ。そしてあとはなかなか手に入らない抗生物質。
これは実は皆さんから寄せられた緊急募金で購入している。もちろん全額が集まったわけではないが、現時点で集まっている74,000円のすべてをつぎ込み、不足分は赤字を切ってオーストラリアに送金した。そしてダーウインの街でいつも薬を買い付けているシグマという製薬会社に手配を頼み、このバイロピテ診療所に以前来たことのあるダーウインの開業医、ビクトリア先生に受け取りと、輸送会社への手配をお願いした。
そしてようやくついたわけだが、こんなふうに日本と東ティモールがつながっていくことはとても不思議なことだ。
ユニセフなどに寄付することも重要なことだと思う一方で、その場合はどこへ使われたかは明確にならないのが苦しいところである。しかしやっていることはユニセフの何千分の一でしかないけれど、さっと出していただいた寄付金が、1週間程度で形になって現場へ届く。そして明日からは本格的にその薬が使われて、何らかの効果を発揮するだろう。
「寄付」という行為はとっても貴いものである一方で、なかなか難しいものだと思う。けれど、自分の貴重なお金を出したことで、今後この小さな島国の話題がテレビに出たりしたとき、「自分が関わりを持った国だ」と思ってもらえることにも大きな意味がある。
世界との関わりは、口で言うほど簡単にもてるものではないかもしれない。しかし、このバイロピテという小さな診療所を介して、少なくとも東ティモールという国のことは身近になっていくのではないだろうか。それは決して目には見えないけれど、その個々人の内面の宝ものになっていくと思う。
一応、1か月分くらいの薬剤が手に入りましたが、その赤字分や、今後も継続的に薬剤支援を続けていく予定に沿って、今後も募金などをお願いしていきたいと思っています。
ありがとうございました。 |

薬の箱が届いた。アイダとユーディ、喜ぶ(2人とも医学生)
診察室で抗生物質を持ち喜ぶ桑山。皆さんの善意の結晶です
|
バイロピテ日記 6/22
今回の医療支援活動も終わりに近づいている。
半月といっても早いものである。合計で日本を離れているのは17日間にもなるが、それでもやり残していることは多いように感じる。
2月の時点の活動が緊急救援であったとすれば、今回の活動は教育支援であるように思う。
バイロピテは東ティモールの中核病院であるから、さまざまな人材がここで育成され、各地方へちらばりそこで保健や医療を展開していくことが望ましいように思う。その意味においては「言葉の出来ない医者」は邪魔になるだけ・・・という厳しい現状が見えてきている。
患者さんはテトゥン語を使って診療に来る。それをたとえば医学生に「通訳」してもらっては、ぜんぜん人材育成にならない。医学生が診察しようとする傍らで、そのテトゥン語を理解し会話に割って入るような医者でなければ、いるだけ邪魔になってきているのである。
その意味で桑山は必死だったと思う。今週にはいってからはほぼ一人で診察はできるようになった。難しい会話になったときだけは助けてもらうが、9割程度は自分で診察できる。それはテトゥン語が非常に文法に簡易であり、語彙を並べるだけという珍しい言語であることに救われている。診察室で使う多くの単語を覚えれば、それを順番につないでいくことで、十分会話になるし、東ティモールの人たちも同じような会話形式なのである。そこに、テトゥン語のありがたさと、臨床の現場で使いやすいという偶然の一致があって、桑山は救われてきた。
今日も午後からは医学生に診察してもらいながら、傍らでいろいろ文句を言う「教官(失礼)」になっていたが、それが教育的支援のひとつの形であろう。
今日はシェア(国際保健協力市民の会)の短期派遣の医師がずっと診察室に入り、テトゥン語を勉強していった。その姿勢がなければ、今後この地域の医療の発展には寄与できないように思われる。
|
アイダに縫合の仕方を教える
「支援する」ということは大変だ。
特に実際に行って支援するとなると、さまざまなことが条件として出てくる。けれど、テトゥン語を勉強してでもこの支援を続けていきたいというひとつの理由にやはり日本とつなげていきたいという気持ちがある。
既に薬剤緊急支援にさまざまな反応をいただいている。
それは今まで遠い国だったこの東ティモールが、その人々の中で身近になっているからだ。それはすばらしいことであり、NHKニュースを見ても「ふーん」で過ぎてしまいそうなことかもしれないのに、「そりゃ大変だなあ」と思ってもらえる人々が周りにいてくれるということのうれしさ。それはこのバイロピテとつながっているから可能なのであろう。
昨夜ダンとビールを飲みながらこのことを話したら、
「そうか、それはうれしい!!日本のみんなにもっと知ってもらえるよう、明日も戦おう(ダンはこの言葉がすき)!!」といっていた。
興味をもってもらえることは、現場の人間には本当にうれしいことなのである。 |
バイロピテ日記 6/21
ディリの治安
ディリ市内の治安は非常にいい状態である。
夜出歩いても何も危険性はなくなってきている。そこで繁盛をはじめたのがナイトクラブのようなレストランである。
多くの国連職員やNGOスタッフなどが住む街ディリは、ちょっとした国際都市のようなありさまだ。92年のカンボジアのように、急に街に外国人が増え、それを目当てにしたさまざまな商売が展開されていく。それまでは見たこともないようなスーパーマーケットやレストラン、ナイトクラブ(それは多くがカラオケを装備しているものだが)が雨後のたけのこのように増えていくのだろうか・・・。
外国人にとっては便利になる一方で、東ティモールの人はそこに「不在」のままで置き去りにされては行かないだろうか。
街は相変わらず破壊されたままで放置されている建物が多い。商業に関する建物はなかなか人が入らないと復活していかないから、どうしても住宅地よりも復興が遅れてしまうのであろう。
どんな街や国になっていくのか、それはまだ描けぬ絵のようなものであり、モノクロの鉛筆がきのような状況かもしれないけれど、少なくとも、どんな色になっていくのかは東ティモールの人たちの大いなる意思が決定していってほしいと思う日々だ。 |

ディリ市内、カテドラル横の廃墟 |
バイロピテ日記 6/20
今日は珍しく空いている一日だった。
午前は忙しかったけど、午後からはもう4時過ぎると患者さんがいなくなっている。
時々ちらりほらりとは来るものの、先週のような忙しさではない。
バイロピテの日によってはずいぶんムラがあるものだ。
そんな暇な時間があったので、医学生のアイダにビデオを見せた。
それはなんと、よせばいいのに8分間を2000円で売っている「東ティモール支援ビデオ」だ。
アイダは曲が自作で、歌っているのもDr. K(ドクトール・ケイ)と知って驚いた様子であったが、途中で桑山が実際に診療しているシーンが出てくると歓声をあげた。
そう、アイダも登場していたのである。アイダはあの時僕の診療の補佐だった。だからちゃんと黒い服を着て映っていた。彼女は見終わると、しんみりと「日本へいってみたいなあ」といっていた。
あとでダン先生に
「Kは歌手だったんだって?」といわれて、アイダを見ると、首をすくめていた。
ダンにも帰るまでに見せようこのビデオで、バイロピテを支援する自己資金を作っているのだから・・・。
この南の島で貧相な暮らしをしている桑山の現状報告
下着・・最大で6日間は同じ物がはけるけど、それ以上は無理ということがわかった
寝巻き・・最大1週間は同じものを着れるけど、そろそろ「すっぱい匂い」になってきていて危険
ズボン・・最大で2週間を1本のズボンで通してみようと思っているけど、日本へ帰ってきてクリーニング出してももう使えないほどの汚れ。
バスタオル・・これも1週間目を過ぎた頃から「すっぱい匂い」。そして恐ろしいことに水を吸わなくなってきている。ふき取った脂でバリバリ、おお、いやだ
靴下・・匂いがしなければ害がないので、4日間は同じもの。だから5足あれば十分とい
うことがわかった
ちゃんちゃん
桑山紀彦 |
バイロピテ日記 6/19
いつもの月曜日がまたやってきた
今日は最終的に300人を超える患者さんが来たが、ダンが200人、桑山が100人強という感じの割り振り。一体この50歳を超えるダン先生のどこにそんなにエネルギーがあるのか・・・、桑山は連続1週間の仕事でもうへとへとなのに、ダンはそれを
かれこれもう3年近くもやっている。
きっとダンにはダンAとダンBがいて、毎日入れ替わっているんだよという話が病院のスタッフで出るくらいに彼のエネルギーはすごい。
といっても、毎日ほとんど変わらない生活だ。たとえば1週間休みを取るとか、そんなこともしない。ただ黙々と患者さんを診つづける日々。ダン先生にポケットピカチュー(万歩計、桑山が毎日つけている)をつけてもらっても、きっと1000歩も歩かないんではないかというくらいだ。
それがたったひところの「今目の前にいる人のことが愛しいからそこにいる」というだけで、人間はこんなにもエネルギーと持続性を出せるものなのだろうか。
そう、もちろんその通りなんだろう、だからダンはこうしてこのバイロピテ診療所でずっと仕事していられるんだろう。
今日もシビアな結核の患者さんが3人来た。
5歳になるのに、上腕の腕周りが10cmもない子供。普通は20cm近くあるはずだ。まさにソマリアで見たあの飢餓の子どもたちの風景に匹敵する患者さんだ。
山の戦闘地域から来たというが、密林は結核の住処である。
誰か一人でも結核菌を吐き出していれば、以外に空気は密閉されているジャングルの中では結構その菌を吸い込んでしまう。結核は飛まつ感染ではなく、空気中に浮かんでいる結核菌と唾液の塊を吸い込んでかかる「空気感染」である。
この小さな島を今こうして結核が襲っているのだ。
|
実際にバイロピテでは最近結核患者さんが全体の受診数の約7%を超え始めている。
これは2月のときの5%を2ポイントも上回っている数だ。
またマラリアも治療が進むにしたがって、薬剤抵抗性のものが増えてきており、既にクロロキンという特効薬に対する耐性を持った「クロロキン耐性熱マラリア」が全体の
30%を占めるようになったという報告もある。
これはまずい。
クロロキンが使えないとなると、第2選択のファンシダールはあまりに効きが遅くて重症の場合に役に立たないという欠点があるのだ。
こうして病気もどんどん我々と追いかけっこをしているわけである。
「ようやく折り返し点の支援活動。バイロピテの月曜」
|
バイロピテ日記 6/18
今日は日曜日だが、バイロピテには日曜日はない。
朝からダン先生は病棟を回るので付き合った。とにかくマラリアが多発しており、今日も2人は相変わらず高い熱でうなされている。
でも命に別状あるような感じではなく、ほっとしている。
続いて医学生にダン先生は講義を行う。
5人いる医学生は、それでも2人しか来なかった。エリアとユーディだけ。遅れてファティマが来た。でもアイダもジュリアもジョーも姿を見せない。
そりゃあ日曜日だし・・・と思いつつも、懸命に講義を聴く2人を見ていると、こうして差が出て行くのか・・・と複雑な気持ちであった。
そのあと巡回診療に向かったが、ファリンテルという抵抗組織で独立のために戦いつづけてきた男性で、拷問にあって脊髄を損傷させられて以来寝たきりの状態のところへ向かった。
屈強な身体もだんだんやせてきている。今は悪いことに結核にかかって療養している。
拷問で身体を壊されても、それは独立のために戦ったものである。そのためか周囲からの人望は厚く、家族は凛としてすがすがしい表情をしていたのが印象的だった。
さて、月曜日が始まる
300人を超える患者さんであふれるバイロピテの外来に耐えられるように、がんばらねば・・・
桑山 |
バイロピテ日記 6/17
今日は、突然だけどアグネス・チャンが来た。
ダンや病院のスタッフが、誰なんだ?というので日本の歌手で、マイケル・チャンの妹だと適当なことを言うと、そういう名前の香港 人スターがいたよなあと妙にみんな納得して、とっても有名な人が来るんだ・・と想像していたようだ。
いざアグネス・チャンが来てみるとそれは小柄な人で、ダンに並ぶと子どものようだった。
でも、何故か(というか日本人はこのクリニックに一人だけ だから)僕が彼女の案内役になってしまった。後ろからは最低3つの マスコミがカメラで追いかけてきている。
こりゃ大変な物々しさだ。
一応外来を中断して、全部説明したが最後にツーショットでインタビューを・・・とNHKの人が言うではないか。
そりゃ光栄だ・・と思いつつ、この地で活動する他のNGO,シェアや居候しているパルクのみんなに申し訳ないなあとつくづく思いつつ、すかさずインタビューに入った。
伝えたかったことは2つだった。
緊急救援のフェースが抜けてきて、だんだん国際社会で忘れられてき始めている今、一番危険。薬がなくなってきたりするのは顕著な例で、そういったちぐはぐな国際社会の姿勢が、結局は東ティモールの人を傷つける・・。
自分たちは忘れられていっている・・・という思いの一方で、じゃあ、自分たちは独り立ちするんだ!という強い意思と財力があ ればいいが、後者がない状況だと、結局ひどく落ち込んでしまうことになる。
継続性と息の長い支援をするべきだという点。 バイロピテを訪ねてきたアグネスチャン
病棟はマラリアの患者さんであふれかえっている |
2点目は、あの事変から8ヶ月以上が過ぎて、そろそろ心の傷を負った人が表面に出始めているということ・・・。壁の落書きは相変
わらずあるし、多くが子どもが描いた殺戮の風景であるが、実は外来でもちらほら見かけるようになってきているのである。
今日も悪夢とフラッシュバックに苦しむ女性が入院してきた。
これからそういったトラウマやPTSDに関する問題が浮上してくる可能性を感じる日々である点。
さて、一体NHKはこの「アグネスチャン・東チモールを行く(仮題)」というテーマでどのくらいこのバイロピテを扱ってくれるだろうか。願わくば、忘れ去られていく状況に少しでも歯止めがかかるように・・・
今日は、最大の信頼を置く抗生物質、アモキシリンがあと300錠となった。これでは15人に出したらもう終わりだ。
ダンは、「う〜ん」とうなりながら、
「仕方ない、コ・トリモキサゾールでいこう」
でも、コ・トリモキサゾールは、どんな抗生物質も効かなくて「仕方ない使ってみるか・・」というくらい選択肢としては「後のほうの」ものだ。副作用も結構強い。
そんな状況になると、行くまではぜんぜん想像しなかった。
けど、アグネスチャンに同行してきたユニセフの人にこのことを話すと「検討してみます」とのこと。
何とかなってくれ〜
桑山紀彦 |
バイロピテ日記 6/16
今日は朝から暑かった
まさに熱帯という感じのねっとりした暑さが朝から街を覆っていた。
薬の話題では残念なことが多いが今日はうれしいことがあった。
午前の診療が一段落しかけたとき、なんだか屈強な男が診察室に入ってきたのである。
「Mora Sa Ida?(どうしましたか?)」
「Meal, Inusbein...(咳と鼻水が・・)」
いつもの会話であるが、なんとなく外国人なれしているような雰囲気を持っているので、冗談で
「オリンピックにでも出るの?」
と聞いたら
「そうなんだ」
「そうだよね、屈強だもんね。ボクシング選手だったりして・・・」
「そうなんだよ」
「ハハハ・・・・冗談でしょ?」
「いいや、ホントさ」 |
 |
というわけで、なんと東ティモールはオリンピックに初出場するのだ。でももちろんいまだ国として成り立っているわけではなく「国連暫定統治中」という形なのだが、オーストラリアで開催というので、かなりオーストラリア、オリンピック協会を説得したのだろう。だって東ティモールの盟友を誇るオーストラリアだから・・・。
そんなわけでひょんなことからオリンピック選手の診察をしたわけだが、そのあともウエイトリフティングの選手が腰痛で(そりゃそうだよね)来院したりもした。
そんなところに、この国が国として成り立ちつつあることを感じ、とってもうれしくなった。
でも、念入りに診察すればするほど、筋肉はついていてもやはり身体が細い。ボクシングはまだしも、ウエイトリフティングの彼は、結構きついのではないだろうか。 |
でも何はともあれ「参加することに意義がある」オリンピックである。
くまなくテレビを見て、トーマスさん(ボクシング)とマルセロさん(ウエイトリフティング)が映ったら、得意そうに「あれ、あの人!!、オレ診察したんだよ!!身体
触ったんだよお!!」と自慢できるかもしれない思いをこらえようとおもっている。
今日は抗生物質のケフラールが切れた・・・。
軟膏のハイドロコルチゾールも・・・。
先行きの暗い話だが、いろんな人が応援してくれている ということを支えに、今出来ることをしっかりとこなしていきたいと思っている。 |
バイロピテ日記 6/15
今日もある薬が底をついた
クロルフェニラミン・・咳止めなどに使う抗ヒスタミン剤である。
バイロピテで使う3大薬剤、ビタミンC、解熱剤、抗生物質シロップが底をついてその翌日、抗ヒスタミン剤までもが底を突いたか・・・・
ダン先生と話し合うが、政府中央薬局からの配分は遅いし、量も少ない・・・これではまともな医療が出来ず、かつ患者さんに薬なしで帰ってもらいかねない事態を強いることになるように思う。
あちこち電話したが、どこもおんなじような状況でとてもお薬を手に入れる容易な方法があるようには思えない。
さて困った・・・
そこで、これまでは決して募金の求めなどをすることはなかった「地球のステージ」があえて、ここで緊急募金を行いたいと思います。
断腸の思いですが、背に腹はかえられません。
500円の支援で熱のある子どもに1週間分の解熱剤と抗生物質を提供できます。
しかしバイロピテには毎日そんな子どもが少なくとも30人は来るでしょう。みんな38度以上の高熱の子どもたちです。
とすると、1日にかかる薬剤は1万5千円にもなります。そこで、1口3000円で募金をお願いしたいと思っています。そうすることで6人の子どもの熱を下げて、快方へ向かわせることが出来ます。もちろん、医者の腕にもよりますが、それは信じていただいて・・・ |
何口でも結構ですので、ぜひ募金を下さい。
バイロピテの患者さんの熱を下げようキャンペーン
3000円で6人の患者さんの熱を下げ、快方へ向かわせることが出来ます!!
(ただし、すべてが薬に使われるのではなく、薬をオーストラリアのダーウインなどから運ぶ際の交通費や通信費などに10%程度が使われることをご了承ください)
現地からの桑山医師のメッセージをお聞きください。
ひどい画像で申し訳ありません。
|
バイロピテ、ダンの診察室にて・・・
熱のある子にどうやって解熱剤を出すのか・・・ |
バイロピテ日記 6/14
緊急事態
困った。薬がどんどん底をつきかけている。
こりゃ一体どうすればいいんだろうか・・
僕が運び込んだ1000オーストラリアドル(約7万円)の薬なんて跡形もなく消え去っている。
今日1日で「品切れ」となった薬は3剤。
どれも重要なものばかりで、
ビタミンC
解熱剤
抗生物質
特にこの抗生物質は致命的だ。いつも良く使うABPC(アミノベンジルペニシリン)系が底を突いた・・・
特に子ども用のシロップが全然ない。
小さい子どもに大人用の粉を水にといて飲ませろというのか・・・
どこへ向けていいのかわからない怒りが込み上げてくる
こんなときに限って診療所の上を軍用ヘリがけたたましく何回も飛ぶんだ。もうやるせないやら困ったやらで脱力だ。
子ども用の薬から切れるとはなんと皮肉な・・・
それにしても明日からビタミンも抗生物質も、解熱剤もなくて、どんな治療をすればいいのか・・・。
遠い日本では薬が在庫切れで困るなんてことは全くないのに・・・
あ〜、こんなことならもっとこの3剤を持ち込むべきだった。誰か送ってくれないだろうか・・・いやいや送ったっていつつくかわかんない。
誰かお金寄付してくれないだろうか・・・。それ使ってダーウインに買いに行くんだけど・・・。
「あるものを使っていくしかない」状況が始まった。
緊急救援のフェーズのときはみんなの関心が集まって薬も豊富にあったが、人々の関心と、緊急救援は風のように去っていく。
そして残ったものは運悪く病気になって熱を出した人たちと、「ごめんね良く効く薬なくなったんだ・・・」
という医者の姿である。
でもうれしいことに血の混じった下痢が続いてたエリアス(仮名)、3歳の男の子の熱が下がってきた。下痢も収まり加減・・・
てっきり赤痢かサルモネラだろうと踏んでいたのに、ダンがこれもマラリアだという。いぶかしみながらもクロロキンを投与すると
一気に熱が下がってきた。
さすがダン・・・
長年の経験はすばらしく、書物に頼って、症状が似ているというだけで赤痢などと考える自分の未熟さを知った・・・。
雨季最後の雨雲が、深く垂れ込めているディリ、バイロピテ診療所より・・・
桑山紀彦 |
バイロピテ日記(6/13)
グえ〜っ、ぐギャ〜!!
朝からすごい声で目がさめた。なんだなんだ!!
飛び起きてみると、耳栓が片方外れかけている・・。そうだ、夜中中ニ ワトリがないてうるさかったんだ・・と思い出した。
ということは・・・この断末魔の声はひょっとして・・・
いぶかしみながら、バイロピテ診療所へ向かったら病院の角でニワトリ がお肉になって売られていた。
ヤッパリ・・・
とにかく居候しているPARC(パルク)の事務所の周りはニワトリだ らけである。ニワトリと一緒に暮らしているということはこういうこと か・・・僕はついわがNGO、IVY(国際ボランティアセンター山 形)のカンボジア事務所を思い出した。
農業で地域開発をするとこんな環境だろうか・・・
いや、僕はここへ医療支援にこいているんだった・・・。
さて、バイロピテは大きく変わった。
まさに今年2月の掘っ立て小屋のような状況とは打って変わり、発展し ている。
たとえばこの4ヶ月間で増設されたものは以下のものである。
1)病棟・・・さらに10人ほどが入院できるようになった
2)検査室・・なんと、マラリア原虫を見つける顕微鏡検査や結核の喀痰 の吐沫標本が作れるようになった
3)水・・時間が限られているけど水道をひねると水が出るようになった
4)電気・・これは安定供給され、なんと診察室にはエアコンが入ってい る
5)診察室・・処置室1つと診察室1つが増えた
もはや掘っ立て小屋ではなくなっている |

〈新しくなったバイロピテ診療所〉
右に見えるのが新しいし処置室と診察室・・ この診察室で桑山が診療している |
しかし一方で問題は薬が尽きてきていることだ。
前回頻繁に使った解熱剤のParacetamolの注射剤は底を突いて久しく、 注射の解熱剤は1本もない状況で治療をしなければならない。
誰か解熱剤の注射と座薬を送ってくれ〜!!!という感じであるが、な いものは仕方ない。子どもにも飲みにくいのを我慢してもらって錠剤を 砕いて与えている。
外科のマルコム先生が来ているので非常に外科処置が良くなっている。 もう70に近いオーストラリア人のお医者さんだが、歳は関係なく、こ うしてNGO活動をしている。
救急でERに患者さんを運んだり(バイロピテでは扱えないレベル)、 往診に行ったりと、あわただしい1日が終わったが、印象としては右記 の状況である。 |
1)マラリアが減ってきている・・乾季に入ったためのある
2)かぜが増えてきている・・涼しくなってきているからか
3)栄養状態は相変わらず改善していない人が多い・・「食」と 「職」が十分ではないからだろう。
最後にダン先生と別れるとき、彼は言った。
「ドクターK、明日も困っている人のために戦おうな!!」
相変わらず、名誉とか地位とか関係なく、目の前にいる人たちのことが ほって置けないダン先生らしい言葉だった。
そうやって彼の1日は、いや1年は、いやいや10年はあっという間に この地で過ぎていくんだろう。
医学生、アイダに言われた。
「ドクターKは何回来たらずっと居るようになるの?」
桑山紀彦 |
バイロピテ日記(6/12)
バイロピテの風
ようやくディリにつきました。
長い道のり・・・ここまで着くのに結局3日目を迎えてしまうあたりが、この東ティモ ールの「遠さ」を感じてしまうところでしょうか。カンボジアであれば翌日には着く のに・・・
着いて一番びっくりしたのは、非常に静かな印象があったこと。人々は前回2月にき たとき同様、とってもやさしく愛想がいいのですが、それ以上に、少しゆとりのよう なものを感じたことでしょうか。
シェア(国際保健協力市民の会)の川口みどりさんとパルク(アジア太平洋資料セン ター)の久保さんが迎えにきてくれていました。
さて、少し休んですぐにバイロピテ診療所へ向かいました。
なんじゃこの混みようは!!!
ここはいつもと変わりなく野戦病院でした。おまけにダン先生(たった一人の院長) はミーティングで部屋にこもっている状況です。
もうついて早々に診察開始・・・
すぐに勘とテトゥン語が戻ってきましたが、驚いたのは、薬の種類が非常に減ってい ること・・
「あの薬も、この薬ももうないって?なんで?」
「だって使い果たしちゃったんだもん」
緊急医療救援の極期のときはあまるほど薬が配られていたのに、今は少し落ち着いて きたというだけで、薬の配分が回らなくなってきているようです。こ
りゃ困った・・。ある薬で対応していくけど、咳止めもないなんて・・・
相変わらず風邪の患者さんは多いのに・・・ |
〈バイロピテの診察〉
〜医学生テルマと共に〜
|
そうしてついに今日も100人を超えるかという状況になったとき、ついにまた最 悪の患者さんがやってきました。5歳の男の子、血の混じった下痢、40度の高熱、 吐き気、全身の脱力感・・・。
う〜ん、難しい。
赤痢か・・サルモネラか・・・
日本じゃ滅多に診ることのないこういった疾患にもちゃんと対応していかなければな りません。結局、この子には入院してもらいました。
お母さんが心配そう・・。
一応念のためマラリアの検査もオーダーして(電気が来るようになって、検査なんて ことが出来るようになったんだ!!)、帰路に着く。
あ〜、疲れた。こんな毎日がまた続くのか・・・
見上げるともう空は真っ暗で、南半球の星が瞬いています。
そしてねぐらに帰ると、いつものあの「洗礼」が待っていました。
「水浴び」シャワーもお湯もないここでは、毎日の風呂はおけからひしゃくで汲んだ 水をぶっ掛ける水浴びです。
久しぶりだなあ・・・でも南半球が冬に向かっていることもあって、今日は少し涼し い・・・。
あ〜!!、首筋が一番辛いんだよね、水が滴るとき・・・
でも5分で慣れて、早速独り言・・・
「こんなのも楽しいかもね」
さて、いつまで続くやら・・・
桑山紀彦
ディリ
東ティモール |

〈夜のバイロピテ診療所〉
病棟も増え、結核病棟、検査室が
出来上がっていた
|
はじめに
今年の2月に桑山はSHARE(国際保健協力市民の会)の派遣医師とし て初めて東ティモールに入りました。
そして約2週間、ディリ市内のバイロピテ診療所で日々患者さんを診察す るという活動をして帰ってきました。
その後SHAREはアイナロという地域に展開し、そこで保健医療活動を 始め、バイロピテ診療所には関わらなくなりました。
それを受けて桑山の所属するNGO、国際ボランティアセンター山形(I VY)は00年度の新規事業として、東ティモール支援事業を承認 し、 このバイロピテ診療所への支援を開始しました。
内容は医師の派遣と薬剤、医療機材の提供です。
今回は6月10日〜26日までの期間、桑山が現地で支援活動をすると同 時に医薬品や医療機材を持ち込みます。そして現地から文章、写 真、ビ デオ映像を電子メールで送り、それをこのページに張りつけていくこと で、リアルタイムな活動状況の報告を試みてみたいと思っております。 どうぞ、ご覧ください。 |
6月10日(土)→11日(日)
成田空港出発。
カンタス航空060便(20:15)
ケアンズ・・04:30(11日)着 乗り換え カンタス航空061便
ダーウイン着・・18:40着
ダーウイン泊まり
6月12日(月)
ダーウイン発 エア・ノース502便(12:30)
ディリ着 12:45着 その足でバイロピテ診療所へ |
|
東ティモール支援事業トップページへ |
|