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ジョアキーナは14歳。
ジョアキーナはディリ市内からミクロレット(小型 の乗り合いバス)に乗ってだいたい40分くらいの、深い山の中に住んでいました。兄弟は6人、長女のジョアキーナはもういろんなことができる「大人」として、家のことをいろいろとしてきました。
お父さんはサメの街に出稼ぎに行っていて、年中いないといいます。漁師さんだそうです。乾期のこの冬の時期は魚がたくさん回遊してくるので、一番忙しいときでもあります。
ジョアキーナは、そして結核にかかっていました。
どうしてでしょうか。家族の中には結核にかかっている人はいないようです。狭い家の中に一人結核の人がいて、咳とともに結核菌を排出していれば感染する可能性が大きいものですが、ジョアキーナの家族には咳のひどい人がいませんでした。けれど、看護師のジェイミーが聞いたところによると、隣の家に住んでいるおばあちゃんの面倒を見ることがあり、そのおばあちゃんがどうも結核らしいというのです。面倒見のいいジョアキーナは、知らないでその咳をしているおばあちゃんの看病をして、結核をもらったのかもしれません。
血痰が続き、夜は咳とともに寝汗もたくさんかいています。これでは、1、2ヶ月入院しないといけません。
さて、彼女が初めて僕の外来にきたとき、たった一人でした。
「お母さんは?」
「誰の山にいるよ」
「なんで一緒じゃないの?」
「だって弟と妹が後5人もいて面倒を見ないといけないんだもん」
「お父さんは?」
「サメの街で働いている」
「島の反対側じゃないか」
「うん…」
「じゃあ、誰もここにはこれないの?」
「うん…」
「ふ〜、今日痰の検査をするけどね、このまま入院しなきゃいけないよ」
「・・・」
「おそらくね、結核だと思うんだ。薬飲んで、たくさんご飯を食べよう」
「・・・」
「泣かなくってもいいんだよ、ちゃんと良くなるよ」
「うん…」
ジョアキーナはひとりぼっちでしたが、ちゃんと納得して結核病棟に入りました。
バイロピテ診療所では国連からの支援を受けて、結核の患者さんたちにたくさんご飯を食べてもらえるよう、食料の配給を受けています。それを使って、結構たくさんの食事を出しているのが自慢でした。
その夕方の回診。
「お昼ご飯食べた?」
「ううん」
「そっか、お昼は出ないんだもんな」
バイロピテ診療所だけではなく、東ティモールではまだまだ昼も併せて1日3回ご飯を食べる人は少ないのが現実です。
「今日の夕ご飯はいっぱい出るからね。たくさん食べてね」
「はい」
家族のお見舞いのないジョアキーナのベットは、他の患者さんと比べて全然差し入れがないからがらんとしていました。
「お母さんは忙しいくて、やっぱりこれない?」
「うん、ダレから乗るとバス代かかるから」
「じゃあ、ジョアキーナは歩いてきたの?」
「うん、2時間くらいだった」
「・・・」
結核という病気を背負って、でもあの急峻な山道を歩いてくるジョアキーナの姿を想像すると、思わず詰まりました。
翌朝の回診。
「おはよ〜」
「おはよう」
「昨日は眠れた?」
「咳がひどくて眠れなかった」
「そうか…、汗は?」
「たくさんかいた」
「ご飯は食べた?」
「うん」
「たくさん?」
「うん、ひさしぶりにたくさん…」
嬉しくなる時です。ひとりぼっちの14歳に入院してもらうことは本当に心が痛みますが、「ひさしぶりにたくさん食べた」と言ってくれるとは…。短い回診の中にも、気持ちが通じます。
そうして、バイロピテ支援の日々は続いていきました。

今回の診療では小外科が多かったですね。ケガの処置、切開排膿、縫合…いつになく外傷が多かった印象です。
そして大きく変わったのはマラリアの治療です。
かつて幻の秘薬といわれてきたベトナム北部から中国南部に自生する薬草「チン・ハオ・スー」が製薬化されたとは聞いていましたが、まだまだ治験の段階で、手には入らないと思っていたのに、アーテスネートという名前と共に、バイロピテ診療所で第一選択の薬剤になっていました。これは副作用が少なく、有効性が高くて有名でした。それを普通に使う日がこんなに早く来るとは…。感激です。
実際に、手ごたえはあり、2,3日で熱も下がってみんな楽になっていっているなあ…という印象。それでも下がらない熱はタイフォイド(チフス)を疑いますが、それが明確にできるようになったのも、この「新薬」のおかげです。
今やアフリカ地域ではマラリアのワクチンが治験に入ったと聞いていますが、やがてそのワクチン(有効性は50%をめざすという高さ!)も普通に使える日が来るのでしょう。
しかし、結核は依然猛威を振るい、栄養失調でおなかも脚もぱんぱんの子どもも運ばれてきます。皮膚科の疾患もやたらと多い。
これは現在の東ティモールの問題を顕著に表していると思います。まず、「食が足りていないこと」。これは経済的に困窮していて、国民が満足に食べれていない事を示していると思います。独立後3年、経済は相変わらず低迷しており、人々は食べるのに必至で、その弱みに病気が忍び込んで人々をさに困らせているという印象です。
ついで「保健教育が不十分である」ということ。
赤ちゃんの目を汚れた指で平気でこするお母さん。身体を洗わず、虫に刺されてもそのままにしている若者、首にできた虫刺されの傷をずっと放っておいたために内部に膿が溜まり、ついに根っこができて硬くなり切開すると吐き気がするほどの膿の塊が出てきた男性…。

処置をしていると「もう少し早く病院にきてくれたら」「もう少し生活を自ら改善する気持ちがあったら」と思うケースにたくさん行き当たります。病気にならない自分を自らの生活習慣でつくり上げというのは「保健」の分野でとても大切な目標なのですが、まだまだそういった教育が浸透していないために、今日もバイロピテ診療所にはたくさん病気の人がやって来ます。
しかし日本のNGOでも老舗のSHARE( 国際保健協力市民の会)はエルメラ県でそういった保健教育に力を入れてもう5年の活動実績です。私たちは「医療」に関わっているNGOですが、「保健」を押さえることで「医療」にまで行かないで済むケースがたくさんあることを考えると、SHAREの活動には多いに期待するところです。
さて、最終日がやって来ました。次の代診の医師、大塚恵子医師も到着、月曜日の殺人的な外来を共にこなしています。空港に発つ直前、気になってしょうがないジョアキーナを見舞いました。でもベッドにいない…。
「どこにいったかな?」
「ジョアキーナは、他の患者さんの子どもの面倒を見ているよ」
と、看護師のマルシアが言いました。自分が病気になっても、まだ下の子どもの面倒を見るジョアキーナ。君の喜びや楽しみは何?
ジョアキーナがベッドに戻ってきました。
「咳は?」
「良くなってきた」
「ご飯食べれた?」
「うん、たくさん」
「お母さんは?」
「ダレにいるよ」
「あと、入院は1ヶ月くらいかなあ」
「・・・」
「泣かなくてもいいんだよ、ちゃんと良くなるから」
「・・家に帰りたい・・・」
「う〜ん、結核のお薬が効いてね、血の出る痰が無くなったら帰れるんだけどな」
「どのくらい?」
「う〜ん、早いとね、1週間くらいで効く人もいるよ」
「退院できる?」
「もちろんだよ」
飛行機の時間です。僕はあげるものがなくて蚊よけのウエットティシューを渡しました。ビデオ・カメラマンとして重労働してきたうちのスタッフ、石橋優子ちゃんは腕に巻いていた髪留めを手渡しました。
お別れです。
「薬飲んで、たくさん食べてね」
「うん」
「ちゃんと家に帰れるよ」
「うん、わかってる」
たった14歳の少女の結核との戦いは今始まったばかりです。
長い服薬、栄養への留意、再発への配慮。大変なことばかりだけど、咳の続く隣りのおばあちゃんの面倒を見、入院したら他の患者さんの子どもの面倒を見るジョアキーナの人生に幸運なことが起こらないはずがありません。

この夏のバイロピテ診療所の日々は、またドキュメンタリーの習作として世に出すつもりでおります。
少々、お待ちください。
桑山紀彦
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