「長谷川さん、東ティモールに行きましょう。」
すべてはこの一言で始まりました。
英語ダメ、テトゥン語など聞いた事もない。外国へ行った経験さえほとんどない私が、果たして東ティモールに行けるのかしら?家庭を持った主婦が、一週間家を空ける事なんてできるの?「地球のステージ」のスタッフの人たちは、明確な仕事を持って行く訳だけど、観光地ではない現場で、私は何をすればいいの?
行けない理由を並べてみたらキリが無かったので、行ける理由に変えてみました。
「言葉なんか通じなくたってやっていける。」これは、ステージを見た方なら解っていますよね。
私が家を空けて一番困るのは、子供たちの食事です。これは、カレーや卵料理、レトルトを使えば何とかなる。コンビニだって、この際活用させてしまおう。洗濯物は、行く前に子供たちに仕込んでおこう。
さて、行って何をするのかという目的については、私は仕事で行く訳ではないので、東ティモールの地に立って、その空気を吸い、街を見て、人と会えるだけでいいんじゃないかと考える事にしました。
逆に、やる事がなければ、お前は行けないの?
上手くなんて出来ないのが当たり前。失敗して大ハジさらして来ようじゃないの! と、開き直ってしまいました。さて、私の中で行くぞ!と決めると 話はどんどん進み、夫も何度かの説得で許可してくれました。でもやはり、中一と 小五の息子を置いていくのが、一番つらかったですけど・・・。
東ティモールの行き方
東ティモールへの直行便は無いので、夕方成田を出発し、インドネシアのバリ島に夜中に着き、そこに一泊して翌朝、デンパサールから ディリ行きに乗り、お昼頃に東ティモールに着くことになります。帰りはこの反対になるので、正味4日間くらいの滞在になってしまいます。
いよいよティモールだ
22日昼、遅れて出発した飛行機は 目的地の東ティモールに近づきました。
右の窓側に座っていた私は、「ティモールが見えてきたよ」の声に「ここかあ!」とカメラのシャッターをしきりに切りましたが「まだ このあたりは、西ティモールかな」との話に ティモールは、西半分はインドネシアなんだとこの時初めて知りました。日本では、図書館や本屋さんで、東ティモールについて調べようとしましたが、あまりにも情報が少なく そんな事も知らないままこの日に至ってました。
飛行機は徐々に高度を下げていき、いよいよ着陸。
タイヤが着地するガタガタと言う音を聞いた瞬間、「よっしゃあー!!」とガッツポーズをとってしまいました。手押しのタラップが取り付けられ、いよいよ東ティモールの地に降り立ちました。「うわっ!暑い」 南半球って、本当に今が夏なんだ。(東ティモールが南半球だということも、最近地球儀を見て知りました)
教科書で習ったけど にわかに信じられなかった長年の疑問が一気に解決しました。
しかし どこを見渡しても、空港ターミナルビルは見当たらない。
聞くと、赤い三角屋根の休憩所(に見える)これが 空港だという。
「そうなんだあー」と納得しながら、ビザカウンターへ並ぶ。 なんと!この建物はプレハブ、屋根はトタンだ。
ここで 30ドルを支払い、次にパスポートに入国のハンコを押してもらいました。
「やったー!!今度は無事入国できたぞ!」ほっとしました。
(実は私は、インドネシアを出る時、出国カードをスーツケースの中に入れてしまい、出国できないかもしれないという大きなミスをしていたのです)
なつかしいロゴマーク
外ではたくさんの大人や子供たちが集まっていました。
そして、バイロピテ診療所の運転手が迎えに来てました。
名前は バルタザール。小柄で、口ひげを生やした、笑顔がかわいい50歳くらいの人でした。
迎えに来た車はなんと!!
11月にみなさんの寄付を集めて贈った車でした。
東ティモールで 「Flontline」と 「地球のステージ」のロゴマークを見られるなんて思ってもいませんでした。車の話は聞いていたけど、実物を見てうれしくなりました。 早速後部座席へ乗り込みました。走行距離7万キロを越えている車には見えないほど状態はよく、前の持ち主の、池邉さんという方が大切に乗っていたのが伺えます。(のちに池邉さんには、あるパーティーで会うことができ、丁重にお礼を言っておきました)
バイロピテ診療所
一度ホテルにチェックインしたあと、ゆっくりする間もなく一行は、バイロピテ診療所へ向かいました。ホテルから300メートルほどしか離れていませんでしたが、初めて見るバイロピテは、ステージのスライドやビデオで見ていたものとは雰囲気が違い、言われなければ通り過ぎてしまうところでした。入り口には 金アミや柵はありましたが、きれいなものではありません。地面は土砂や瓦礫が混じっていて、雨季のこの時期、いたるところに汚れた水溜りが出来ていました。車を止めるのも、水溜りをよけないと降りられませんでした。
これは、ディリ全体に言えることなのですが、道路、歩道、下水といった生活のために必要な施設が整っていないのです。雨が降ると、川のようになってしまう道路や溢れる川を見て、「マラリアや伝染病は減るわけないわ・・・」素人の私でも感じました。
「あー、こんなところは 飯野さんの出番だなあー」(つくばチームで建設会社経営)と思いました。
さて初めに、バイロピテのスタッフに挨拶です。
ステージで見ていたアメリアは、一目見て解りました。
「おー!アメリアーー!!」と両手を広げて行くと、アメリアも「おー」と言ってくてました。当然 私の名前は知らないでしょうが、お互いだきあってしまいました。
こちらの挨拶は、お互いのほっぺたをくっつけあうというやり方です。私は初めてだったので、上手くできずカスッてしまいましたが。事務長のセレステ、金庫番のアナ、そして、オーストラリアやニュージーランドから来ている大勢のメディカルスチューデント・・・
とてもいっぺんには覚えられませんでした。
バイロピテの主な建物は6つあり、よくステージに出てくる赤い屋根の家は、受付と待合室、ダンの診察室、薬品倉庫、そしてアカペトが入院していた部屋(今は検査室 )になっていました。その奥には事務所とミーティングルーム。その右どなりは産科。そして、その前に建っている外科処置室、4畳ほどの桑山さんの外来と歯科処置室の建物。 なんと、その横の建物は結核病棟だというのです。少し離れて、(と言っても10メートルくらい)一般病棟がありました。日本では考えられない配置です。座る間もなく3人は、それぞれの仕事に入っていきます。桑山さんは診察に、須藤さんは内線電話の復旧に、後藤明ちゃんは状況を調べ、足りないものや通訳に大忙し。私は「ここがバイロピテかあ・・・」と、うろうろと歩き回ります。
外来診察室
間もなく明ちゃんが呼びに来て、桑山さんが外来を見せてくれるとのこと。
(私は以前、病院に勤務していました)なつかしさと緊張が走りました。
診察室に入るなり桑山さんが、「このおばあちゃん、何歳だと思いますか?」と目の前の患者さんの年齢を聞いてきました。うーん・・・この感じは、と「84歳くらいですかね?」と答えると 「60歳なんです」 「えっ!?」
私は最初の患者さんでいきなり絶句してしまった。
つまり、生活苦と栄養不足のため、老化が早いらしい・・・。エスメラルダさん、腰が曲がって杖を突かないと歩けませんでした。ほかにも、どう見ても75歳にしか見えない、やせ細った48歳の結核の男性。孫を連れてきた年配の方だと思った、私と同い年の女性。
24歳だというのに、やけに疲れた感じの男性・・・ 「これが東ティモールで生活するということなんだ」現実を突きつけらてしまいました。
でも、関心させられることもありました。
前述のおばあちゃんのあと来た10歳の女の子マリアちゃん。学校が終わったあと、一人でやってきました。カゼでした。ステージでも出てきたように、子供だけでここに来る人もいましたが、やはり多くはお母さんに連れられてやってきました。お父さんの時もありました。病気の子供を見つめる親の気持ちは、日本も東ティモールも変わりないなと感じました。いや、むしろこちらのほうが、病気が死につながる可能性は大きいはずなので、切実だったかもしれません。
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