NPO法人 地球のステージ
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更新: 2005年11月24日
 
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Diary 2005
2005.10.12
イスラエル軍の撤退、その後
2005.6.24
久しぶりの海〜ガザ市への遠足〜
2005.1.3
報道されなかったもう一つの話
Diary 2004
2004.9.10
マーゼンのお墓参り
2004.9.4
マーゼンのために
2004.7.10
兄の死
2004.6.4
ラファ侵攻をうけて 現状報告
2004.3.23
パレスチナの状況
2004.3.4
パレスチナのもう一つの壁
2004.2.27
ビラールヘ ビラールに会いに行きたい
2004.2.27
ビラールへ カセットテープ大作戦
2004.2.27
ビラールヘ 病院で
2004.2.9
侵攻について〈女子の声〉
2004.2.9
侵攻について〈男子の声〉
2004.1.23
またまた侵攻 Part3
2004.1.21
またまた侵攻 Part2 (ビラール)
2004.1.20
またまた侵攻 Part1
2004.1.6
子どもたちの言葉で
Diary 2003
2003.11.30
ガッサンとアスマの結婚式
2003.11.25
イード
2003.10.7
インティファーダ3周年
2003.9.15
ファーティマ
2003.8.31
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2003.6.11
アブホーリ検問所「地獄の辺土」
2003.6.5
男の一人暮らし
2003.5.24
アジナビーエ(外人)
2003.5.24
土曜市場
2003.5.9
ガザへ

イスラエル軍の撤退、その後 2005.10.12.
 
 今日は10月12日。イスラエル軍がガザ地区から撤退してからちょうど1ヶ月が経った。その間、本当にいろいろあり、今振り返るとなんだかとてつもなく長かった1ヶ月に感じる。

 最後のイスラエル軍の戦車が引き上げるのを見届けるまで誰も信じていなかった撤退。その後になっても私たちはみんな、自分たちが夢の世界に生きている気がしてならなかった。1ヶ月が経った今も、今まで禁じられていた道路を車で走る時、瓦礫と化した入植地を歩き回る時、監視塔が取り除かれた空き地に目を向ける時、自分の腕をつねってこれが本当に現実か確かめようとしてしまう。
 
  それから1週間ほど、ガザ中がお祭り気分に浮かれていた。でもその後、ハマスの集会での爆発事故をきっかけに再びロケット弾攻撃がイスラエルに向けられ、イスラエルは即「報復戦略」に出た。ミサイル攻撃、暗殺、そして今回が初めてとなった恐怖の「ソニック・ブーム」(飛行機が音速で飛ぶときに出る衝撃音波)。その音はミサイル攻撃にきわめて似ていて、早朝6時、午前11時、夜中の2時…ぐっすり眠っている時、通学・通勤の途中、何の前触れもなくいきなり「ドーン!」と聞こえてくる。この「ソニック・ブーム」のせいで何度心臓が止まりそうになったか。その衝撃で建物にヒビが入ったり、窓ガラスが割れたりする被害も多くでた。でも建物や窓ガラスへのダメージだけならまだしも、イスラエル軍による攻撃が本当に終わったんだ、もう大丈夫だ、と安心しきっていた子どもたちへの衝撃は言葉に表しきれないものだった。街を包んでいた撤退直後の解放感が一気に吹っ飛ばされ、それに代わって不安な日々が始まった。
 
  本当に、喜怒哀楽のジェットコースターに乗ったような1ヶ月だった。

 先週、ラマダン(断食の月)が始まった。イスラム教徒にとっては年に一番素敵で、一番楽しい1ヶ月だ。貧しい人々の苦しみを味わうために日中は断食するので誰も元気がないが、楽しみは断食明けの夕方から始まる。みんなでお買い物に出かけたり、親戚や友人の家に遊びに行ったりして楽しむもの。

 でも去年も一昨年も、ラマダン中にも道路閉鎖、銃撃、侵攻、暗殺などが続いていて、人々は「楽しむ」ムードにとてもなれず、悪夢のようなどんよりしたラマダンだった。そういったこと以外にも、国境や入植地周辺に並ぶイスラエル軍監視塔からの発砲を恐れ、ほとんどの人が夜は基本的には外出せずに家で静かにしていた。できることは、家族でテレビを囲んでラマダン中のメロドラマを楽しむくらいだった。それも、停電していなければの話。ラマダンの間も、国境沿いや入植地付近に住む住民は、侵攻の恐れを感じた時、特にひどい銃声が聞こえてきた時、家族揃って自宅から避難する生活が続いていた。

 今年は38年ぶりに入植地も検問所もイスラエル軍もいないラマダン。国境から銃声が聞こえて来ない、道路が閉鎖される心配もないラマダン。人々は5年ぶりに「夜遊び」(日本の意味合いとはだいぶ違って、ただ単に夜出かけて街の雰囲気を楽しんだり、人に会いに行くってこと)ができている。ある子どものお母さんが、「今一番うれしいことは、親戚や友人がうちに遊びに来てくれること!家が国境に近いから危なくて、この何年間誰も遊びに来てくれなかったのよ。それが今は何時にだってお客さんを迎えられる!」と話してくれたのがとても印象的だった。

 一昨日、ラファに再び「シャヒード(殉教者)」がでた、というアナウンスが街中に流れた。25才の若者がガザ中部に住む仲間2人と一緒にクサフィーム(ガザ北部とイスラエルの間の国境)に近づいていったという。あれほどイスラエルとの国境には近づかないようパレスチナ自治政府に警告されていたのにと思ったが、詳しい話を聞いて、彼らは武装していなかったということを知った。彼らは仕事を探すためにイスラエルに密入国しようとしていた。封鎖された経済、今も変わらない凄まじい失業率と貧困率。ガザ地区の厳しい現状はいまだに続いている。入植地がなくなったおかげでガザ地区内の検問所などは取り除かれたが、ガザ地区のボーダーは相変わらずイスラエルが四方を封鎖していて、ガザの住民は外へ出入りできないでいる。いまだにガザは大きな刑務所のまま。

 撤退前の日々に比べて、今は確かに状況がだいぶ落ち着いている。だが2週間前に戻ってきた恐怖はいまだに残っている。今でも時々イスラエル軍のドローン(無人攻撃機)が上空を飛ぶ音を聞く度に、無意識に身体が一瞬硬直し、次に何が起きるのか不安になる。ガザ地区はこれからどうなっていくのだろう。ラファの人々、ガザ地区の人々は今、一日一日の「平安」を噛み締め、息を潜めて今後の成り行きを見守っているように思える。

2005年10月12日ガザ地区ラファより

 私たちの心のケア・プログラムに参加している子どもたちに撤退後の様子、そして今の心境を少しだけ書いてもらいました。そのうちの作文を幾つか紹介します。アラビア語からの翻訳です。

ラグダ(14才)
  イスラエル軍がガザ地区から出ていった時、私たちみんなの心の中が喜びでいっぱいになった。撤退後、本当にうれしかった。殺されることもなく、破壊もなく、平和に暮らせること、そんな日がくるのをずっと夢見ていた。でもそれからイスラエルは私たちの上にミサイルを落としてきた。イスラエルはここへもう二度と戻ってこないって信じていたのに。いきなり戦闘機で私たちの上にミサイルを落としてきたんだ。それからはまた悲しみと恐怖が私の中に、人々の中に帰ってきた。神様がイスラエル人たちの攻撃を止めてくれて、私たちに勝利を与えてくださることを願っている。私たちの気持ちを気にしてくれてありがとう。

ニダー(13才)
  イスラエル人たちがガザから出ていったって聞いた時、私は家にいた。すごくうれしかった。家族そろって真っ先にラファの海に遊びに行った。今までずっと行くのを禁じられていたラファの海。かつて私たちを追い出したイスラエル人たちが、入植地から追い出されたことがすごくうれしかった。その後、モハマッド・シェーク・ハリールが暗殺されたって聞いた。その瞬間、思った。イスラエルは今後も私たちに、他の国の子どもたちのような生活を送らせてくれないんだなって。そして、これまでのように怖がるようになった。イスラエル人たちは私たちを放っておいてくれないんだって思った。彼らは戦車でなく、戦闘機を使って私たちに戦争をしかけてくるんだ。イラクのようにね。毎日、人が死んで行くんだと思う。世界の人々が平和で安全に暮らせることを願っています。

イマーン(13才)
  撤退の日、子どもたちは学校に行っていた。私もその中の一人だった。学校から帰る途中、近所の男の子たちがはしゃいでいるのを見かけた。彼らは「イスラエル人たちが出て行ったんだ」って教えてくれた。急いで帰って、家の中に入った途端に喜びのあまり大声を出して騒いでしまった。お母さんが「妹たちを連れて(エジプトとの)国境を見に行ってくれば」ってすすめてくれた。「制服を着替えたらすぐに行く」って言ったら、お母さんが「そんなのはいいわよ、そのまま出かけなさい」って言ってくれた。
  妹たち二人を連れて出かけた。国境付近ではみんなが本当にうれしそうにしていた。私も今までの人生で一番幸せだって感じた。そして妹たちは私以上にうれしそうにしていた。家に戻って、お母さんに国境で見たものや人々が喜んでいた様子を話した。「これで夜通し銃声を聞くこともなくなったね!やっと安心して眠れるね」って言ったんだ。
  この幸せが何日か続いたあと、戦闘機やミサイルの音が聞こえてきてびっくりした。テレビをつけたら、車が爆破されて何人かが殺されたというニュース速報が流れていた。インティファーダがまた始まるんだ、シャロンはとんでもない悪者で、彼はガザ地区から出て行ったことを今頃になって後悔していんだって確信した。
  もしかするとまたイスラエルがガザ地区を占領して、状況が今までよりももっとひどくなるかもしれない。そのせいで恐怖、心配、睡眠不足などがまた始まるかもしれない。9月12日に感じた喜びをまた感じられることを祈っている。あの日は私やみんなにとって一番素晴らしい日だったから。

ルバ(13才)
  撤退が終った日、喜びと悲しみを同時に感じたの。喜びは、その日以降ミサイルが落ちてくる音を聞かないですんで、人々も家から逃げ出さなくてすむって思ったから。でも入植地に住み慣れたイスラエル人たちや、そこで生まれ育った子どもたちのことを思うとなんだか悲しくなった。彼らも家を離れなければならなくて、つらかったんだと思う。誰だって、自分の家を離れるのはつらいことだから。
  イスラエル人たちがいなくなってエジプトとの国境が開放されてうれしかった。エジプトに遊びに行った。でも喜びは続かなかった。撤退から1、2週間後、ミサイルが落ちてくる音、イスラエル戦闘機が飛ぶ音、その飛行機のソニック・ブーム(衝撃音波)が聞こえてきた。この音は子どもたちだけじゃなくて、大人も怖がらせた。そしてソニック・ブームは、家々にも大きなな被害を与えた。

ムスタファ(15才)
  9月12日、撤退の日、僕はすごく幸せな気持ちで目覚めた。まずはイスラエル軍に破壊された自分の家のあたりに行ってみた。それからエジプトとの国境を見に行って、ラファの海に遊びに行った。イスラエル人たちが住んでいた入植地にも行ってみた。何日かして、イスラエル軍はガザ市にミサイルを落として何人かを殺した。そのニュースを聞いた時、本当に悲しかった。イスラエル人たちは僕らをだましたんだ。子どもたちや罪のない人々に平和な暮らしが訪れることを願っている。

サーヘル(16才)
  イスラエル人たちが本当にガザから出て行くなんて、僕たちは信じていなかった。だから本当に出て行った時はものすごくうれしかった。僕らは浮き浮きした気分だった。イスラエル人たちが出て行ってから何日間かは、自由にエジプトに遊びに行くこともできた。4年以上見れなかったラファの海に遊びに行くこともできた。入植地にも行った。入植地を見ることができるなんて、夢にだって思ってもみなかった。なんだか自分の中にたまっていたプレッシャーを解放できた感じだった。ガザ市にも自由に行けるようになった。でも撤退から1週間後、イスラエル人たちは(抵抗グループの)リーダーたちを暗殺したり、ミサイルで建物や学校をこわしたり、人々をおどかすためにソニック・ブームを使い始めた。イスラム聖戦の幹部が暗殺されたことで僕の心は深い悲しみでいっぱいになった。


 撤退後、子どもたちを入植地、そしてラファの海に連れて行きました。そのときの写真を数枚紹介します。

   


入植地でワークショップ!子どもたちと思いっきり遊んできました。






   瓦礫と化した入植地に唯一残された教会の前で女の子と記念撮影!
   (私はいつもカメラマン、シクシク・・・)

 




入植地・教会の屋上でうちの男の子が歌って騒いでいる

 




モハメッド(13才)は入植地・教会の屋上からラファの海を見つめて、何を思い、何を感じているのだろうか。





   ラファの海ではしゃぐ男の子たち!

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