NPO法人 地球のステージ
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更新: 2005年8月26日
 
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2005年1月3日

 今週は中間試験のために子どもたちとの活動はお休み中。ガッサンとガーダ(「フロントライン」のラファ現地スタッフ)と溜まりに溜まっていた事務作業に取りかかっていた。午前9時頃、ガッサンの電話が鳴った。電話からガッサンの妻アスマの涙にむせぶ声が漏れ聞こえてきてびっくりした。電話を切った途端、私たちはガッサンを質問攻めにした。何があったの?事故にでも巻き込まれたの?大丈夫なの?ガッサンは答えた。「イマンが撃たれたみたい」

 アスマの妹?高2のイマン?「彼女が撃たれたって、どういうこと?」ガッサンは頭を横に振って言った。「数分前、家の前で撃たれたらしい。地面に倒れて助けを求めていたイマンをアスマが見つけたんだって。救急車が来て、イマンは今病院にいるそうだ。」

 みんなで近所の病院へと急いでいた間、ずっと頭の中で叫んでいた。どうして?、どうして!?彼女の家は国境線や入植地からも離れているじゃない!それに、午前9時だなんて!どうしてまたこんなことになったの?

 イマンの家はシャブーラ地区といって、エジプトとの国境から2キロ以上も離れた場所にある。ラファでの危険なこと(イスラエル軍の監視塔からの発砲、侵攻、家屋破壊など)はほとんど国境線沿いで起きているから、そんなところから比較的離れているシャブーラ地区はラファで一番安全な場所の一つとされていた。去年の7月頃までは。 

 リファアット・アブ・アムラ(29才)の死後、その認識は変わった。リファアットは家の前に座っていた時、流れ弾に当たって殺されてしまった。そしてリファアットが亡くなった1週間後、イマンのクラスメートでもあったハニーン・アブ・サムハダーナ(16才)も殺されてしまった。家の中にいた時、流れ弾が窓から入ってきて彼女の胸を突き刺し、彼女は亡くなった。リファアット、ハニーン、そして今度はイマン。3人とも、同じ並びの家に住んでいた近所の人たちだった。

 もちろん、「どうしてこんなことに」という質問はラファでは通用しないなんてわかっていた。ここではこういう事件は起きてしまうことなんだ。国境線からイスラエル軍によって発砲された弾は隣の町ハン・ユニスまで届くこともある。国境線や入植地近辺に並んでいた数々の家屋や建物が破壊されてしまい、発砲された弾を止めるような障害物が少なくなってしまったことも影響しているに違いない。今となっては、ラファの隅々まで弾が届いてしまう。そして、弾はコンクリの壁などに反射して、あらゆる方向に、あらゆる角度で飛んでいくことができる。もはやラファ中に「完全に安全」な場所なんてどこにもない。

 リファアットとハニーンは撃たれて間もなく亡くなってしまった。でも、ガッサンによると救急車に引き取られるまでイマンにはちゃんと意識があった。それはきっと大丈夫な証。彼女は昔から意志の強い子だった。きっと単なるかすり傷だったんだ。彼女が本当に死にかけていたのなら、大声なんて出せっこない。出せっこないよね?

 病院に到着した時にはイマンの兄二人がもうとっくに来ていた。狭い範囲を行ったり来たりしながら、タバコをスパスパ吸い、鳴り続けるそれぞれの携帯に対応していた。ガッサンが彼らと話をしていた間、私は手術準備室に入って行った。イマンは数人の看護婦に囲まれ、手術台に仰向けになっていた。被せられていたシーツと同じくらいに彼女の顔は真っ白だった。まだ意識があって、苦痛にうめき声を上げていた。

 医者が3人部屋に入ってきた。イマンは「脚を動かせないの、左脚の感覚がないの」とうめいた。医者の一人が封筒からレントゲン写真を引っぱり出して光に当てると、そのレントゲン写真にはイマンの脊髄、そして脊髄から2センチほど離れたところに250ミリの弾が写っているのが見えた。

 ガッサンとガーダと私は事務所に戻って連絡を待つことにした。数時間後、電話が来た。病院がそこで手術を行うのは危険過ぎると判断し、より設備の整っている別の病院にイマンをお願いすることにした。彼女はハン・ユニスの病院に移された。

<何が起きたか>

 ハン・ユニスの病院ではイマンの姉のアスマが出迎えてくれた。私たちが着いたころにはイマンはすでに手術に入っていた。アスマはイマンが手術室に入る瞬間までずっと付き添って、彼女の話し相手をしたり、服を脱がせて手術の準備をさせていたという。アスマは知っている限りのことを話してくれた:

 「今朝早朝、実家に寄ったの。お母さんの家事の手伝いをしようと思って。お母さんは野菜を買いに行きたかったから、留守中私にお店の番を頼んで出かけていったわ [アスマとイマンの家族は建物の一階で小さなスーパーを経営している]。イマンはまだぐっすり眠っていた。彼女は午後の部で勉強[パレスチナでは教室不足などのために2部制をとる学校が主流]していたから、本当は10時ごろまで寝ててもよかった。でもお店の当番を手伝って欲しかったからむりやり彼女を起こしてしまったの。かわいそうに、彼女、「今日の社会科の試験のために朝の5時まで勉強してたのに」ってブーブー文句を言っていたんだけど、「お願い、私のためだと思って、お母さんが戻って来るまで手伝って」って言ったの」

 「イマンは起きてくれて、制服に着替えていた。一緒に1階に降りて、お店を開けたの。そうしたら、お母さんが戻ってくる前にさっと家を片付けてしまおうかな、って思いついて、イマンにちょっとの間だけ一人でのお店の当番をしててね、ってお願いして、私だけまた2階に上がったの。イマンはカウンターの裏に座っていたら、友だちのニビーンが店の前を通って行く姿に気づいたみたい。ニビーンはイマンと同級生だけど、午前の部で勉強していたから、ちょうどその日の試験を終えて家に戻って来てた途中だったの。イマンは店のドアから飛び出て彼女を呼び止めたそうだわ。二人はただお店の前で中間試験の話をしていただけ。イマンはニビーンが着ていたジャケットの襟を触りながら、二人はいつもと同じようにペチャクチャしゃべっていた。すると急にイマンが叫びながら地面に倒れて、ニビーンも一緒に引きずり倒されてしまった」

 「私がちょうどお手洗いに入ったばかりの時、すさまじい音が聞こえてきた。イマンが「アスマ!早く来て!」と叫んでいるのが聞こえて、慌てて家を飛び出したの。イマンは道に寝そべっていて「撃たれた、撃たれた」と叫んでいた。彼女を抱きながら、どこから血が流れているか彼女の体を上から下まで見てみたけど一滴も血が見えなかった。何度も、「どこ、イマン、どこが痛いの?」と聞いたけど、イマンは「わからない、わからない!」と答え続けるだけ。通り過ぎていた近所の人が気ついてくれて急いで救急車を呼んでくれたの。救急車はすぐに来てくれて彼女を運んでくれた」

<終わりのない待ち時間>

 私たちは待った。待ち続けた。延々と。イマンの妹ファーティマが友だちと一緒に来た。叔父、伯母、従兄弟、隣近所の方々、たくさんの人が手術室外の廊下を行ったり来たりしていた。ベンチに座る人、床に座る人。立つ人たちはたいてい数人で固まって、不安そうに体重を左右の脚に移しながら世間話をして沈黙をなくそうとしていた。手術室の近くで何か動きがある度にみんなで顔を上げ、医療スタッフが出入りしているだけ、とのことに気がついてまたみんなでがっくり頭を下げていた。

 13才のファーティマがこの状況をどう受け入れているのかが気になって、何度も彼女の方向に目が行ってしまった。彼女の途方に暮れていた顔。じっと遠くを眺めて、一所懸命涙をこらえながらコーランからの節を何度も声を出さずに繰り返していた。

 アスマは不安そうにずっとイマンの話をし続けていた。「あの子、手術室に連れていかれる寸前まで中間試験の話しかしなかったの。今日の試験を欠席してしまったことが成績に影響しないといいなぁ、って話していた。信じられる?撃たれたというのに、そんなことしか考えられないなんて!昔から優秀な生徒だったからね。昨日の英語の試験できっと良い成績が取れたに違いないって。学校に行って、校長先生に病院から出たら欠席してしまった試験をまた受けさせてもらえるようにちゃんとお願いしに行くって約束させられたのよ」

 4時間後、イマンは手術室から出てきた。医者によると、銃弾は左側から体内に入っていって、腸を突き破って脊髄の隣の筋肉に引っかかってしまった。弾は左脚に通じる神経を傷つけて麻痺させてしまっている。その麻痺が一時的なものなのか、それとも永久的なものなのかは今の段階では判断できないという。一旦彼女の身体を開いてはみたものの、これ以上脊髄神経を傷つけてしまうことを恐れて結局弾を取り除かず、腸の傷を縫い上げて手術を終わりにした。今は彼女を安静にすることが第一。これ以上、弾が脊髄に接近しないことを願いながら様子を見て、今後の対処方法を考えなければならないと話していた。

<自然による悲劇とそうでない悲劇>

 こんな悲劇が起こると、被害者の周りにいた人たちはその日の詳細をこと細かく思い出し、自分たちに非をみつけてしまう。イマンの母は、自分が朝買い物に出かけていなかったらこんなことにはならなかった、と思っている。アスマは、むりやりイマンを起こしていなかったら、と思っている。ニビーンまで、あの時間にお店の前を通っていなかったら、と思っている。イマンに怪我をさせたのは自分たちではない、ということを度々他の人に思い出させてもらわなければならない。彼女たちに非はない。

 病院から家に戻り、テレビをつけて夕方のニュースを見てみた。東南アジアの津波の被害状況の映像が流れていた。あまりにひどい惨状と多くの人たちの苦しみが胸を突き刺した。だけど、ニュースの話に集中しようとしていながらも、国境線から聞こえてくる銃声に気が取られてしまう。ラファでは毎日毎晩聞こえてくる、あの銃声の音。

 津波の被害各国に国際社会から何億ドルもの支援金がどんどん寄せられている報道を聞いて、一瞬だけ想像してみた。そのお金がそっくりイマンに届けられたとしたら何が変わるんだろう?、って。でも、すぐに気づいた。たとえ世界中のお金をもってしても、彼女が今日失ったものはもう取り戻せないということに。

(追伸:イマンが撃たれた時、ほぼ同じ時間にムハンマド・サタリ(16才)も学校で流れ弾に当たり、肩を撃たれてしまった。現在病院で治療中)


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