NPO法人 地球のステージ
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更新: 2005年8月26日
 
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マーゼンのために

2004年9月4日

<恐れていた日>

 いつかこの日が来ると思っていた。
 ラファの国境線沿いに住む子どもたちとの活動を始めたのが2003年6月。ここの子どもたちはこの4年近く、銃声や爆発音をほぼ毎日毎晩、身近に聞きながら生活をしている。家が国境線に近ければ近いほど、彼らは危険にさらされている。国境線沿いには8mの鉄の壁が建てられ、その裏に設置されてあるいくつもの監視塔はいつも周辺の住宅や動くものに向かって発砲してくる。そして、国境線に一番近い地域は実際に何度もイスラエル軍に侵攻されている。大きな侵攻小さな侵攻と、規模は様々だけど結果は基本的に同じ。破壊された家屋や都市基盤、住民のけがや死。

 このことを知っていたから、いつか一緒に活動している子どもが殺されてしまうのではないかとずっと思っていた。そして案の定、その日がやって来た。2004年8月30日。私がラファに住み始めてから1年4ヶ月が過ぎたある日。マーゼン・アル・アガ、ラファのイブナ地区出身で今年の1月から私たちの青少年プログラムに参加していた男の子。夜10時頃、自宅前で撃ち殺されてしまった。
 どんな不幸でも、それが起こりうることを前もって覚悟さえしていれば、実際にその不幸が起きた時は少しでも心の準備が出来ると思っていた。でも、結局は心の準備なんかできるものではなかった。

<新聞記事には書かれていなかったこと>

 マーゼンについて何か書かれていないか、インターネットで調べてみることにした。英語版のハーレツ(イスラエルのリベラル新聞紙として知られている)を開いてみたら、「自爆テロ志望者、エレズ検問所で捕まる」という記事があった。 ( http://www.haaretz.com/hasen/spages/471799.html) そして、記事の6段落目くらいに以下の文章が埋もれていた。
 「同日未明からガザ南部のラファ難民キャンプに侵攻しているイスラエル軍によって、14歳のパレスチナ人が殺されたという目撃談が入っている。イスラエル軍情報筋によれば、侵攻の目的は、パレスチナ人によって使われている無人の建物の破壊で、それらの建物からイスラエル兵士に向け銃や迫撃砲が発砲されている、としている。情報筋は『ブルドーザーの50メートル圏内にパレスチナ人が移動するのが目撃され、発砲した』と語った。」(翻訳 安藤直美)
 「自爆テロ志望者」がイスラエル軍に捕まった話と一緒に上記を読むと、パレスチナ人がこっそりイスラエル軍の車輌に近づいていく姿が自然と目に浮かんでくる。彼はきっと何かを企んでいたに違いない。イスラエル軍が正当防衛を主張しても仕方がないだろう。

 でもこの記事に書かれていないことがいくつかある。マーゼンの家自体が国境線から50メートルくらいしか離れていないこと。私が知っている限り、彼の家が鉄の壁に一番近い家だ。そして、イスラエル軍のブルドーザーやジープは常にこの周辺にいて、鉄の壁に沿って走り回っていた。それは彼の裏庭の敷地内なのだ。
 マーゼンの家族から聞いた話によると、夜10時半ごろ、マーゼンは家の前に座っていた。家の扉は鉄の壁と反対の方向に向いていた。その夜も、イスラエル軍のブルドーザーが近くにいて、みんなそれは知っていたけど、ここではブルドーザーが近くにいることは決して珍しくないから、住民は可能な限りいつも通りの生活を続けていた。外は真っ暗で、ブルドーザーがどこにあるのか、いったい何台あるのか誰にも分からなかった。でも比較的静かな夜で、誰も心配していなかった。

 マーゼンの母は扉から顔をのぞかせて、マーゼンに家に入ってくるように言った。
「時間も遅くなってきたよ。学校もそろそろ始まるから、身体がまた早起きに慣れるためにも早く休んだ方がいいわよ」
 マーゼンは、
「まだ眠くないよ」
 と返事して、
「ブルドーザーがいなくなったか確認してくる」
 と言った。マーゼンは立ち上がって、ブルトーザーなどが家の角から見えるか歩いていった。すると突然、銃撃が鳴った。マーゼンの母は慌てて扉に行ってマーゼンを探すと、地面にうつ伏せになっている彼の姿が見えた。銃撃から身を守るために地面にいるのだ、とばかり思っていたお母さんだけど、何度呼びかけても反応を示さない彼をみて、何かが起きたのだと気づいた。銃声が続く中、彼女はなんとか家の中に彼を引きずり込んだ。家の中も真っ暗だったけど、マーゼンの首に大きな穴が開いているのが見えた。誰かが救急車を呼んだけど、危険過ぎて救急車は家に近寄れなかった。救急隊員がやっとマーゼンを運び出せたころには、彼が死んでから数時間が経っていた。

 病院の検屍で確認されたことは、マーゼンが胸やお腹に18発以上の銃弾を受けていたこと。その多くの銃弾はそのまま彼の背中を突き抜けていったという。遠距離で発砲された銃弾は人間の体内に引っかかってしまう。だから、銃弾はかなりの至近距離で発砲されなければ、体を突き抜けるほどのパワーがないはず。彼の身体に18発以上の銃弾。警告射撃もなかった。ゴム弾も使われなかった。医者によると、首に受けた大きな傷は太い血管を切断し、それが直接死亡の原因だった。この異常に大きな傷口は多分「爆発弾」によるものだという(この特殊な銃弾は接触時に破裂するように出来ていて、ラファではイスラエル軍がよく使っている。)

 先程の新聞記事には彼の年齢さえ正しく書かれていなかった。マーゼンは15才だった。私は知っている。一緒に誕生日を祝ったから。

<マーゼンの証言(2004年4月)>

 今年4月に撮ったビデオに、彼とのインタビューが入っていた。家の状況を話してくれている。その一部を紹介する:
マーゼン:
 「僕らは人間らしい生活なんかしていないんだ。毎日、家に向けて銃撃があるんだ。戦車は家に近づいて撃ってくる。ここには小さな子どもがいるのに。2、3ヶ月前、イスラエル軍兵士が家の近くにやってきた。ブルドーザーが近づいた時、母さんは手に白い布を持って外に出ていった。」
 「ここには安全なんてまったくないさ。夜8時には家に戻っていなきゃならない。8時過ぎても戻っていなければ、その日はもう家に戻れない。銃撃がひどいから。朝もあまり早い時間に家を出ることが出来ないんだ。家の壁に刻まれている銃弾の跡は全部監視塔から来たものだ。」
 「ある日、僕が家を出ようとしたら、僕に向けて発砲して来た。兵士は家に戻るように叫んだ。父さんは様子を見に外に出てきたら(兵士の)誰かが手榴弾を投げてきた。壁に当たって、その破片が父さんの腕と脚に刺さった。兄さんも脚を怪我した。母さんも、兵士に話をしようと戦車に向かって歩き始めたら、銃弾が彼女の脚に当たった。救急車は母さんを迎えには来れなかった。僕らは母さんを抱きかかえて2キロも歩いた。」

<私たちのマーゼン>

 でも、生前のマーゼンがどんな子だったのかも知って欲しい。
 マーゼンは演技がとても上手だった(彼にその気さえあれば)。ある場面で、「マーケットで果物を売っている最中にじわじわと頭痛がしてくる少年」という役を与えられた彼は、舞台に立って、「トマト、トマト・・・」と売りをしている演技をし始めたと思ったら、いきなりよろめいて、頭を両手で抱えて大げさに叫び始めた。「あー、頭が、頭が!」見ていた私たちは全員、床に笑い転がってしまった。演技指導にはあまり耳を貸さない子だったけど、コメディアンとしては最高だった。

 マーゼンはゲームやスポーツが大好きだった。文章や絵を書くのは大の苦手で、頭を使わないといけない遊びも嫌いだった。駆けっこならもう大好き。脚がとても早くて、鬼ごっこなんかで相手をタッチする時はいつも気合いが入りすぎていて、タッチする時にゲンコツを使わないように、とよく注意されていた。

 彼は身だしなみにはとても注意していた。髪はいつもジェルで決めていた。嵐が来ても大丈夫、ってくらいにバリバリに固めていた。家庭は決して裕福ではなかったけど、少ない服の中からでも精一杯おしゃれをするようにしていた。
 彼は子ども扱いされるのが一番嫌いだった。ガザ市の遠足に行くには許可書に親のサインが必要だよ、ということをみんなに伝えたら、彼は怒り狂った。「俺は大人なんだ、誰の許可なんかいらないよ!そんな許可書なんて、びりびりに破ってやる!」

 彼にはとても優しいところもあった。私の誕生日には大皿のバクラワ(アラビア菓子)を買って来て一緒に祝ってくれた。そして、他の男の子たちがいないところでは何度も私やスタッフを家に食事に招待してくれていた。ご馳走してもらいに家に行ったら、私の好物をお母さんに作ってもらっていた。

<彼の死を受けて>

 彼が亡くなって数日が経った今、私たちは一人一人、自分なりに彼の死を受け止めようとしている。いろんな気持ちが交錯しているけど、マーゼンの悲惨な死を思っても、彼の生死に対して世間が無関心であっても不思議と「怒り」という感情は出てこない。もしかすると、怒りは後でやってくるものなのかもしれない。でも、それでも多分、怒りはやってこないと思う。なぜならここはラファだから。ラファでは、こういうことは起き得るから。そして残された私たちはその事実を受け入れるしかない。そして状況に適応して、日々の生活を続けるしかない。

 今は、ただ彼にまた会いたくて仕方がない。私をいらだたせようとして喉の奥から出していたあの変な声がもう一度聞きたい。目を真ん中に寄せておどけた顔をしてから見せてくれる、あのとびっきりの笑顔をもう一度見てみたい。
 そして、たくさん悔いが残っている。なんでもっと彼の写真を撮ってあげなかったんだろう。彼の家族に想い出として渡してあげられたのに。なんで面倒くさがらずにもっと早く彼の家に遊びに行かなかったんだろう。もう一度一緒に食事が出来たのに。

<皆さんにお願い>

 9月10日(金)、私たちスタッフと子どもたちはマーゼンに「さよなら」をします。午後に集まって、みんなでマーゼンのためのお食事会を開きます。マーゼンとの想い出話をしながら一緒に食事をしたいのです。そして夕方5時には彼のお墓に行く予定です。ラファで夕方5時、といえば、日本では夜中11時です。これを読んでくださっているみなさん、ぜひ私たちと一緒にお墓参りに参加してください。この時間に合わせて、一瞬だけマーゼンのことを考えてあげてください。遠い世界のどこかで彼のことを考えてくれている人がいるのにマーゼンはきっと喜んだと思います。注目を浴びるのが好きだったから。かれの生前にはあまりそういう機会がなかったから。

寺畑由美


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