| 2004年7月10日 兄の死
<突然の死>
日曜日の夕方、リファアットが殺された。家の前に座っていた彼にイスラエル軍監視塔からの銃弾が一発直撃し、彼は間もなく死んでしまった。29歳だった。
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リファアット・アブ・アムラ。夕方家の前に座っていた時にイスラエル軍からの流れ弾に当たって亡くなった。
享年29才。
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ラファに住んでいると、このような話はそう珍しいものでもない。いきなり流れ弾に当たって大怪我をした人、亡くなってしまった人の話は今までも何度も聞いている。でも今回の話は私にとって決して他人事ではない。リファアットは私の兄だから。
もちろん、リファアットと私の間には血のつながりはない。私の実の兄は一人だけいて、今も元気で日本に暮らしている。でも、ラファには私にとってもう一つ大事な家族がいる。それはアブ・アムラ家。
アブ・アムラ家は以前私の通訳を勤めてくれていた青年アベッドの家族である。9人兄弟、4人姉妹、両親も数えると15人の立派なパレスチナ流大家族。これに加えて3人兄弟それぞれの奥さんと子どもたちも一緒に一つ屋根の下で暮らしているから、家の中はとにかくいつもガヤガヤと賑やかである。去年の5月に初めてアベッドに家に連れて行ってもらって以来、私はこの家族に大変お世話になっている。しょっちゅう遊びに行っては家族全員に囲まれてご飯をご馳走になったり、みんなとおしゃべりしたりしてきた。とても暖かくて愉快な家族で、最初から私のことを家族の一員として受け入れてくれた。
だからその家族の一員だったリファアットは、私にとって大切な兄だった。
<「あり得ない」死>
リファアットが亡くなったことを聞いた時、私は真っ先に「勤務中の不幸だろう」と思った。リファアットは治安部隊の兵士で、その中でも最も危険な仕事、国境線のパトロールを任されている特殊部隊に属していたから。イスラエル軍からの突然の攻撃や威嚇射撃による流れ弾など、様々な危険が伴う仕事だから、勤務中にいつ殺されてしまってもおかしくはなかった。
でも皮肉なことに、彼の死はあまりにもあっけなかった。
彼が家の前で撃たれたことを聞いた時、私はしばらく耳を疑った。自分にとって身近な人が亡くなったショックはもちろん、それよりも被害にあった場所が私にとってあまりにも「あり得ない」ところだったから。
アブ・アムラ家の家はシャブーラ地区にある。ラファは全体的に「危険」とされているけど、実際は危険も相対的なもので、同じラファでもシャブーラ地区は地理的にブラジル地区やイブナ地区などとは違って、国境線からもイスラエル人入植地からも比較的遠い位置にある。この3年以上も続くインティファーダーでシャブーラ地区には侵攻は一度もなく、ラファの中では一番安全な場所として知られている。実際、ブラジル地区などで侵攻があるとシャブーラ地区で非難する家族もいる。
毎晩、リファアットや他のアブ・アムラ家兄弟は必ず家の前に椅子を並べて、一服しながら夜気を楽しんでいた。この1年間以上、アブ・アムラ家に遊びに行く度に、必ず兄弟の誰かが家の前に座っていた。時には数人の男友達と一緒に、時には兄弟2、3人と一緒に。そして家に近づく私が手を振ると、兄弟もみんな手を振り返してくれて、「ゆみ!元気か?さー、早く家の中に入りな」と言いながら家の中へと案内してくれた。
でもラファの「安全」はやはり相対的なもので、「完全に安全」な場所はどこにもないんだ。
<アベッドの証言>
リファアットが撃たれた瞬間、アベッドはすぐ近くにいた。その時、彼は家の一角に建てられた弟の小さなサロン(散髪屋)の中で友だちとおしゃべりをしていた。ガラス張りの扉から外をみれば、いつものように椅子に腰をかけているリファアトの姿が見えていた。
アベッドの証言:
「あの日もいつものようにイスラエル軍監視塔から銃声が聞こえて来ていた。でも近所の住民はみな、「銃声はここから遠い」と信じて気に留めずに普段の生活を続けていた。」
「あの時リファアットに何が起きたのか、最初は誰もよく分からなかった。サロンの中で友だちと冷たいものを飲んでいたら、突然「バタッ」と何か重いものが地面に落ちる音がした。外に目をやると、リファアットが地面に倒れている姿が見えた。僕は慌てて外に出て彼の側に駆け寄った。彼の顔は真っ白になって、口から血を流していた。彼に何度声を掛けても何も言わなかった。撃たれたんだと思って必死に彼の身体を調べてみたけど、どこにも傷口が見つからなかった。急いで病院に担ぎ込んだけど、間もなくリファアットは息を引き取った。」
「最初は病院の医者たちでさえ傷口がすぐに見つけられなくて、いったい何が原因でリファアットが亡くなったのかがさっぱり分からなかった。でも、左肩にわずかな傷口が見つかって、レントゲンを撮ってみたら彼の心臓に銃弾が見つかったんだ。イスラエル軍が町に向けて撃った500mgの銃弾が、座っていた彼の肩を突き抜けて心臓に入っていった。彼は体内出血多量で死んでしまったんだ。」
<「あり得ない」ことの日常化>
リファアット・アブ・アムラ、享年29歳。名前と年齢だけでは彼の性格、生き方、家族や隣人との関係について何も伝わらない。例えば、いつ会ってもニコニコ笑っていたこと。例えば、家族の中で一番行動力があって、結婚式、誕生日など、どんなイベントの時もすべてを仕切ってくれたこと。いつも踊りながら部屋の中に入っていって、冗談ばかりを言って家族みんなを楽しませていたこと。
学校で。職場で。家の前で。ラファではどこにいても普通に生活をしていて、簡単に怪我をしたり、死んでしまえる。こんなことが起こりうるところは世界でそう多くはないだろう。でも彼のような死は外の世界ではニュースにもならない。そして、現地ではもはや日常的な出来事の一つとして、長く続いている占領生活のもう一エピソードとして認識されてしまう。深い悲しみと怒りはありながらも、もはや驚きはない。
たった一人の死だけど、その一人の死がどれだけ多くの人たちにどれだけ大きな影響を与えてしまうものか計り知れない。彼の両親。兄弟。わずか20才で未亡人になってしまった、彼の奥さんタハリール。父親をなくしてしまった幼い子ども2人(息子イハーブ、1歳半、そして娘フィダ、4ヶ月)。友人。私。
他の国では考えられないことでも、ラファではあり得てしまう。
でも・・・本当にこれでいいのだろうか。このまま「他ではあり得ないこと」があり得続けていいのだろうか。私たちはこの状況を受け入れ続けなければならないのだろうか。
(追伸:リファアットが亡くなった6日後、アブ・アムラ家の隣の家に住んでいた女性も同じく流れ弾に当たって亡くなった。午前中、上階の窓を開けようとした瞬間に窓から銃弾が飛んできて彼女の胸に刺さり、間もなく死亡した。ハニーン・アブ・ハムハダーニ、16才だった。)
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