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男の子たちのワークショップが終わりました。 |
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多難で、苦労の多い、本当に意味を模索する事の多い毎日でした。
初日、「家の廃材からは悲しい音がする」といった少年の言葉。そしていろいろたたいてみて確かにきれいな音がする事はわかったけど「それはいい音がする」と寂しく一言言った彼の言葉に始まったことは、今回のワークショップの意味を常に問うきっかけの言葉でもありました。
つまり「これをやって何になるのか」という疑問が、常に子どもたちの中にあったということです。
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男の子たちと
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桑山が、ブレイクタイムにスローな曲はパレスチナの子どもたちにどう思われるかと思い、昨年親父のために創った「逢いたい」を歌いました。多くの子どもたちは「ロマンティックな曲だ。なかなかいい」と言ってくれていましたが、一人、その問題の3人のうちの一人は「お父さんに会いたければ、おまえが早死にすればいい」といったと、後で聞きました。これ以上の侮辱はあるでしょうか。そのくせ、言葉がわからず、ニコニコしている桑山に最後は握手を求めて帰っていくのです。「彼は普段はそんな子ではないんだ」と寺畑は言いますが、現実にそんなことが言えて出来てしまうのはなぜなのでしょう。
ソマリアで命を狙われた時も「おまえたちはなんてことをするのか」と憤りましたが、よく似た気持ちになりました。そんな子どもが17歳になって、これからこの地でどう生きて行くのでしょうか。
ここに、このパレスチナの地の難しさが集約されていると思います。
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人間の生き様はすべてがドラマではありません。特には目を覆うばかりの悲惨な話、ひどい話、理不尽さ、不条理さ故に語ることさえためらわれる事もたくさんあります。地震による被災の地には、そういったドロドロした人間の裏表はほとんど存在せず、みな一様に明日へ向かって力を合わせるところが多く見られます。しかし、この紛争の地、パレスチナは違う。人々は小さい頃から不自由や不条理さにさいなまれ、ゆがみ、苦しみ、憎み、人生を吐き捨てたくなることもたくさんあったでしょう。だから、打楽器ワークショップを引っさげ、この地に赴いてそんな荒々しい男の子たちを前にした時に、「理想は通用しない」「現実はもっとザラザラしていて厳しい」と感じ田野だと思います。
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ワークショップ会場 |
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少女たちが昔一緒に海を見に行き、貝殻を拾い集めて遠い海の向こうに「自由」を語った時、本当にこの子たちと手をつなぎ、いつの日か日本へ連れていきたいと本気で思い、みんながほっとする話になりました。しかし、男の子たちを覆っている現実はそれとは裏腹に、もっと厳しくザラザラしたものなのではないでしょうか。
早く大人にならないとおいていかれてしまう恐怖。安易なメロドラマなど受け入れることなど出来ないほど傷つくことの多い、その心の重さを男の子たちに強く感じます。そんな中で、いったい何が伝えられて、いったい何が彼らの心に宿るといいのか…。もちろん短期の打楽器ワークショップなど、太刀打ちの出来ないものであることには変わりありません。しかし、このざらついた子どもたち、そのまま行くと怒りに身を任せて自爆でもしかねないような心性を宿す子どもたちに、いったいどんなワークショップが有効なのでしょうか。
「そんなにお父さんに会いたいのならば、おまえが早死にすればいい」と言えてしまう子どもが、どうやったらいなくなるのか、それが今後の課題だと思います。
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翌日、17歳の少年はガザにやってきました。
桑山は亡き父親の写真を見せ、
「俺は、この人に会いたいがそのために死ぬなどと言うことを考えたことはない。おまえは何を持ってそ のようなことを言うのか」
と問いました。うなだれるその子はゆっくりと、
「自分がどうしてそんなことを言ってしまったのか、一晩中眠れないで考えたけど、わからなかった。今は 本当にすまないと言う気持ちでいっぱいだ。許してください。」
と語りました。
「おまえには父親や母親はいるのか?」
「はい、います」
「では、父が死んで、一目でも逢いたいと思うそのおまえに、誰かが“おまえが死ねば会えるよ”といった ら、どう思うか」
「…許せない、気持ちになると思う。本当にごめんなさい」
あとは、その子の成長と、冗談にも人の死を汚してはならないと言う、僕の気持ちが本当に伝わる事を 祈るしかありません。
最後に彼に伝えました。
「俺は、今日おまえと握手をしては別れない。しかし、次に会った時、おまえが本当に変わっていて、二 度と人の死を汚さない人間になったと感じたら、俺はおまえと心から握手をしよう」
そう言い残して、僕は去りました。
自分が思いの丈をかけて関わってきた子どもがおかしてしまったその「罪の重さ」を感じていたのでしょう。
人と人が触れあうことで成立するのが「ワークショップ」です。
「死」をめぐるやり取りで負の遺産は抱えたけれど、人間はそれをも「正の遺産」に換えていけるはずです。
次回、1月か2月、僕はその17歳と会い、握手をすることが出来るでしょうか。
心が震えるほど揺れ動いた、8日間でした。
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女の子たちのワークショップは今日で最終日を迎えました。2006.9.16 |
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これまでリズムをどう取ってもらうのか、どうしたらみんなと合わせられるのか、それは大きなテーマでした。
音楽は本来「音を楽しむ」と書きますが、意外に取り組むのは難しいものです。音階や弾き方を練習になければならないピアノ、ギターなどはワークショップのファシリテーターならば使うことも想定されますが、子どもたちには求むらくもありません。だからこそ、廃材を使った「打楽器ワークショップ」は有効で、ジャワ島中部地震の時には、大成功を収めたものですが、ここパレスチナでは、イスラムの世界の特徴なのか、なかなかリズムを自分で打ち込むことに慣れていないため、「音が合わない」という事態がずっと続いていました。
しかし、今日はあえてそれまでの「Ana wa Enta(あなたと私)」という彼女たちが選んだ「課題曲」だけではなく、「自由にグループでたたいてみて」というテーマで取り組んでみると、見事、ちゃんと合わせてきたではありませんか。しかも歌も自分たちで歌って。つまり既成の枠ではなく、自分たちで作り上げていくという、ワークショップ本来の構成を持ち込めばちゃんとできたわけです。最初に「リズム感のない子どもたち」と思いすぎたことが良くなかったわけです。
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子どもたちは十分自分たちがオリジナルで作った打楽器の演奏を披露し、惜しみない拍手をもらっていました。そしてその後の課題曲の演奏は、そのノリがそのまま活かされる形で、今までにはない完成度がありました。納得。パレスチナでも廃材打楽器ワークショップはできると思います。ただ、大切なことは参加人数ですね。今日は11人の参加で5人と6人の2チームに分かれましたが、そのくらいの数が一番適当だと思います。それ以上だと収拾がつかなくなるし、自分の音が聞こえなくなるようです。
こうして、3日目のワークショップは、ようやく納得のいくところまで持ってこれましたが、まだまだパレスチナでは音を余裕を持って楽しむというところまでは到達しにくい環境です。それほど音楽からは離れた暮らしになっているということでしょう。しかし、だからこそ、音楽という要素を持ち込んで、少しでも潤いや楽しみの感じられるワークショップを提供することは、この戦場の地において、とても重要なことだと思います。 |
リズムにのってきた女の子たち |
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一方銃声は夜間も鳴り止まず、一昨日はうちの事務所も被弾しました。おまけにうちのローカルスタッフ、イスマイルの横の家が一昨日の夜にミサイルで攻撃され(武器商人が潜んでいるという理由で)、完全倒壊、昨日はイスマイルの家で昼食食べましたが、窓ガラスがすべて割れて落ちているので、風通しの良い、見晴らしの良い昼食でした。でも窓の外に見えるのは、がれきの街なわけです。
この場合、イスラエル軍から電話がかかってきて、「いまから10分後に攻撃するので、逃げろ」といわれたようです。だから死者はおらず…。しかしそんなのありでしょうか。
また、一昨日「外国人の二人連れを拉致しようとしている(身代金目的で)という確かな情報を得たので、厳重注意するように」とテルアビブの日本大使館から電話があったのできっと桑山と後藤のことだということになり、武装ガードマンに守られて、昨日はホテルに帰り、結局全然外にはでられませんでした。拉致でもされたら大変。すべての活動がストップです。慎重に行かないと…。
でも、今日もいい天気。
打楽器ワークショップは多難ではありますが、今日の女の子たちの最終日で光が見えてきました。明日は男の子たち(実に22人にも膨れ上がっています)の最終日。
どうなるのか、乞うご期待!
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ワークショップ初日の惨敗 2006.9.12 |
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いくつか理由があると思いました。
ひとつは破壊された家屋につれて行けない(女の子たちだったから)ために、「ただのゴミ」を集めてきて、それをたたくという結果になっていること。音楽の授業のようになってしまって、その経験も素養もない状況の中で、「つまらない」ものになってしまったように思います。
リズム感が正直ない子どもたちが多く、まともにたたけない…。う〜ん、音楽を聴くことは出来ても自ら奏でる経験が全くない子どもたち。楽器も身近にはない環境。アフリカのように、貧しくても、自ら打楽器を使って演奏する子どもたちとは全く違う環境なんです、このパレスチナというところは。
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女の子たちと |
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アラブ社会では、そういった意味での「音楽は、ただ聴くもの」というところをどうやって打破していくかが大きな課題になるように思いました。二日目はじっさいに破壊された家屋に行って、そこでいろんなものをたたいてみる事にしました。「意味付け」をしっかりしようという試みです。
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そして二日目は破壊された家屋の前でワークショップさせてもらいました。とても良かったと思います。
ひとしきり音のなり具合を確認しましたが、その後でみんなが集めてきたもの、例えば瓦や木切れ、タイルなどを使って音にしてみました。前もって、「どんな音がする?」と問うたところ、ある17歳の少年が「悲しい音がする」と答えました。はっとさせられる発言でした。こっちを気づかってくれた事もあるけど「そう、悲しい音がするかもしれないね」と答えた少年の家も、国境沿いで破壊されていました。 |
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そしていよいよいろんな音を鳴らすと、男の子たちはちゃんと適当に演奏してくれました。3つのグループの演奏が終わって、みんなにどうだったか聞くと、再び少年が、悲しそうな顔で「それは、いい音がしたよ」と言いました。
「確かに廃材となってしまったものの中にもいい音がするものはある。けれど僕たちが失ったものは、もっともっと大きくて、たたいていい音がしたくらいでは取り戻せないものなんだよ」
少年の心の中から、直接僕に伝わってきたメッセージでした。
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崩れた家の前で |
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地震で校舎を失ったインドネシア、ジャワ島中部のテロン第一小学校の子どもたちが、その廃材を作って大音楽会をした時、担任の先生は「心を取り戻した」といいました。けれど、パレスチナの破壊された家は「人が憎しみの中で」壊したものです。
その圧倒的なトラウマの前には、打楽器さえも無力だと感じた瞬間でした。それでも、価値としては、「君に会いたくて、僕はまたここへやってきた。楽しんで欲しくね、打楽器の演奏会を企画してみたよ」という真心だけが有効なのだと思います。 |
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女の子たちの二日目は主に、曲に合わせて、パートに分かれてたたいてみようというものしたが、みんな良くできたと思います。見本をみせると結構たたけるなあ…という事がわかったし、1日1日慣れてきて、ようやくみんながほぐれてきたような気がします。
明日(今日)は男の子の2日目です。がんばろう!。 |