エルサレム入城 / 2003.02.11
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2月11日、エルサレムに入りました。
屈辱的なチェックポイントを抜け、エルサレムまでは信じられないような高速道路を使って2時間。実に15年ぶりのエルサレムに入りました。医師国家試験が終わって、その足で成田に向かったのは、1987年の3月です。
南のヨーロッパを回った後、ギリシアからエジプトに飛び、そこからバスでシナイ半島を突っ切って、陸路10時間、現在のガザ地区に入国してそのままテルアビブを経由してエルサレムに入ったことを思い出します。
まだインティファーダ(蜂起)の始まる1年前で、イスラエルの国は大変平和に見えたものですが、裏側では確実に不満と怒りの火種がくすぶっていたわけです。 |

チェックポイント
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マークとエリサベッツという2人の泊まっている一軒家に転がり込み、そこから1週間、3人の共同生活をしていました。二人とも祖父母がユダヤ人で、自分のルーツをたどるべくエルサレムに旅行で長期滞在していたのです。
さて、そのエルサレムは見事に都会と化していました。
立ち並ぶビルはみんなエルサレム石で統一されており、街の美しさは昔と変わりありません。全然ごみごみとしたことのない清潔感の漂う街です。しかし高速道路が通り、道路は拡幅され、家並みは整備されて、確実に豊かな街になっていると思いました。確実にイスラエルも成長してきたわけです。
しかしいまや度重なる衝突によって、海外からの投資は減り、失業率は11%を超えています。ハイテクと農業で外貨を稼いできてはいますが、競争力が問われる分野でもあり、イスラエルは確実に経済の低迷期に入っているのです。ものの価格はあがる一方で、タクシーも一乗りするだけで600円はように取られてしまう、日本とほとんど変わりはありません。画素論の値段もアラブ諸国との根強い対立のために値上がりしており、レギュラーでも1リットル90円と、日本とほぼ同じレベルです。
和平がこないと、海外からの投資はもちろん、国の重要な産業である「観光」もまったく振るいません。結局パレスチナだけでなく、イスラエル自身にとっても一刻も早く平和が訪れないと自国の危機を呼んでしまう事態に追い込まれているといっても過言ではないのです。
軍事費の膨れ上がりと、治安維持のために使う金額は一昨年のほぼ2倍、実に国家予算の20%を使っているわけです。
これでは、国民の不満が高まらないわけはありません。
しかし今回の選挙でリクードのシャロン党首がまた圧勝し、首相の座に座りましたが、労働党の対立候補はシャロンの「攻められる前に責めろ」では和平が訪れないし、低迷を続ける経済もそう言ったシャロンの攻撃姿勢が原因なのだとぶち上げていました。それでもシャロンが圧勝した背景には、「経済の低迷よりも治安の回復が第一義」と考えるイスラエル国民がいます。パレスチナの関係に目が行きすぎて、どんなに経済が悪化していても、それを「シャロンの失策だ」と責める風潮にはならないくらい、治安の問題が危機的なのでしょう。シャロンにとっては、その他多くの問題が自分に降りかかってこない、絶好の状況が作り出せているといっても言いように思います。本当は経済問題も教育問題もみんなシャロンの失策かもしれないのに、パレスチナ問題を掲げることで、すべては「だから治安の回復を軍事力で成し遂げようとするシャロンを支持するしかない」という気持ちになってしまっているように思えます。
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いつものようにエルサレムにはバスが走り、レストランには人が集まっています。しかしまたどこでテロが起きるかわからないという、心の奥底に潜む不安と恐怖が、エルサレムには蔓延しているようです。
13日、1日エルサレムで資料の整理や情報の収集(国境なき医師団などへ)をして、14日、いよいよガザに入ります。 |
エルサレム新市 爆弾テロの現場
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