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年12月、僕は地球のステージスタッフの明ちゃんとともに最大の被災地、バラコットにいました。そこで明ちゃんたちが手がける救援物資の配給の仕事を見ていたわけです。
その日、配給がひと段落して、アボダバッドの街へ帰ろうとしたとき、クルマの窓にすごい勢いで走ってくる少年がいました。必死の形相で何かを願っています。動き出すクルマを止めて「どうしたんだ?」と聞くと、大人たちは「配給の物資を取りに来たと言っている」とのこと。「ああ、それは明後日に配られるからそれまで待って」と伝えてもらっても、その少年は窓から離れませんでした。
「大人たちはわからないことばかり言う。とにかく僕にちゃんとしたテントと毛布をくれ」と言っています。
「それは明後日ちゃんと配るから、その日に取りに来てね」と明ちゃんが言った言葉が通訳されると、少年は少し窓から離れましたが、とても不安で悲しそうでした。 |
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その表情がたまらなかった僕は、思わず持っていたハート型の風船を膨らませないで、彼に2,3個渡そうとしました。
ところが、彼は受け取りませんでした。
「僕がほしいのはこんなものじゃないんだ。僕が必要なのは命を守るためのものなんだ。風船なんていらないんだよ!」
そんな少年の言葉が飛んできそうな、一瞬でした。
それが、ワジームとの出会いでした。 |
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あれから1ヶ月以上が過ぎて、僕はいつもあのときの彼の表情が忘れられませんでした。生きるか死ぬかの瀬戸際で生きている少年に、安易に風船を差し出してしまった自分。なんて恥ずかしことをしてしまったんだ…そう思うとたまりませんでした。
今回日本を出発する前に、彼に3つのものを買いました。一つは腕時計、正しい時間が彼に流れますように…と願って。二つ目はヘッド・ライト、暗くても自分で路を見つけられますように…と願って。最後は写真立て、家族の肖像がいつまでもそこにありますように…、と願って。
そしてついに、僕はワジームを見つけました。
バラコットの中心の丘を右から回りこんだ田んぼの中に、ワジームのテントがありました。軍からもらったというそのテントはぼろぼろでしたが、彼が集めてきたいろんなビニールシートに覆われて雨露はちゃんとしのげるようになっていました。彼の家は、ここから80キロほど離れたカガーン渓谷の小さな村だったそうですが、家は全壊、お父さんは大きな怪我をしてしまい、アボダバッドの病院に入院してしまったのです。彼の上にはお姉さんが3人いるのですが、いきなり男手が彼ひとりになってしまったため、たった13歳のワジームは、それから唯一の力の担い手として、おじさんの住むバラコットに引っ越してきて、ひとりでさまざまな資材を集めて暮らしていたのでした。
1月半ばにお父さんは退院したのですが、それまでそうだったようにお父さんは山に木を切る出稼ぎの仕事に出かけてしまい、今もお父さんが不在のまま、ワジームは家族を支えているのでした。
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その日、ワジームは向こうから真っ赤な服を着て飛び出してきました。前もってある日本人が訪ねてくることを知らせてもらっていたからです。
久しぶりに会った彼はちゃんと覚えていてくれていました。
「あの時はごめんね」
「何が?」
「風船を差し出してしまったこと」
「よく覚えていないよ」
「そうか、テントとかもらうために必死だったもんね」
「そう、とにかくいつ何が配られるのかわかんないから、ずっと山の上から見ていたんだよ。ごめんね、いやな思いをさせて」
「ううん、そんなことないよ。で、いろいろと手に入れたかい?」
「へへ〜、みてよ、この後ろのものはぜ〜んぶ僕が集めてきたんだよ」
そこにはワジームの背丈ほどある、配給物資が積まれていました。
「そうか、がんばったね」
「毎日大変だよ…」
ワジームは静かにうつむきました。 |
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「今日はね、プレゼントがあるんだよ」
そう伝えて、あの3つの品物を渡しました。
特にワジームが気に入ったのはヘッドライトで、最後までつけていてくれました。
3 つの品物にこめた思いが伝わりますように。
「これはカメラ?」
「そうだよ」
ワジームは僕のデジカメ一眼レフが気になるようです。
「持ってみて」
ワジームはカメラを逆さまに構えました。
「そうじゃないよ、こう持つんだ」
「へへ〜初めてだからね」
とても気に入ったようです。
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いよいよお別れのときが来ました。外を歩きながら、クルマのところまでついてきてくれるワジームに聞いてみました。
「将来は何になりたいの?」
「う〜ん、軍隊に入るかな」
「なんで?」
「だって地震の時に助けてくれたし、このテントも軍の人が使っていたのをくれたんだよ」
「そうか、ありがたかったね」
「うん、でもな〜」
何かを考えているようです。
「どうしたの?」
「このカメラでいろんな人を撮って、僕の撮った写真を買ってもらえたらうれしいな」
「そうか、じゃあワジームが最初に撮る人になりたいな」
「うん!」
そう言ってワジームは僕にカメラを向け、シャッターを押しました。ワジームの初の作品です
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帰り道、前回このバラコットに来たときに診察した、巨大なギプスをはめられた少女を探しました。
道を思い出しながらたどり着いたそのテント村の奥にある、小さなテントの影から一人の少女がゆっくりと松葉杖をつきながらこっちへ出てきました。そう、あのときの少女です。名前はアジーヤといいます。
つい2週間ほど前、ようやくの思いで病院に行き、ギプスをはずしてもらったそうです。今は松葉杖を突いてどこへでも歩いていけるようになったそうです。
本当に安心しました。 |
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午後3時、いよいよ決勝大会が始まりました。 |
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ムシャラフ大統領は、よくある話ですが、ドタキャンでキャンプに来なくなり、平穏に大会が開けそうでほっとしました。
みんな2時30分にはクリニックのほうに集まってきていて、わくわくしている様子が伝わってきます。
さて、河原の会場に行ってみると、昨日まであれほど今日を楽しみにしていたキャプテンのアルマールが来ていません。聞いてみると、家族とムザファラバードに行ったといいます。残念ですが、家族とのイベントが優先なのは仕方ないことです。昨日は顔を出していなかったブラールも何事もなかったかのように元気にはしゃいでいます。
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さて、まずは「チーム・カシミール」と「チーム・パキスタン」の試合です。
やはりカシミールは最弱小といわれていることもあって、かなり押されています。そこで後半に外国人選手を投入。我が期待の森尾看護師が入りました。
森尾はオーダーメイドの民族衣装でビブスをつけ、迫力満点です。
結局カシミールのキャプテンのシカーワットが、めきめきうまくなってきていたにも関わらず、カシミールは負けてしまいました。
さて次の試合は最本命の「チーム・シャヒーン(大きな鳥)」と「チーム・バハダール(勇気)」です。
今日はキャプテンのブラールも戻ってきてちゃんと7人そろっていましたが、なかなか玉がつながりません。ブラールには、再三、前方にいる味方にパスをするのだと言っても、そこへ蹴ることができない。結局バハダールはシャヒーンに負けてしまいました。シャヒーンのキャプテン、アルマールがいなくてもやはり強いシャヒーン。副キャプテンのクンバールが積極的に攻めていっていました。
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さて、3位決定戦です。カシミールとバハダールの両者が戦いました。両者は比較的力が拮抗しているので外国人選手枠は使いませんでした。
試合の中盤、とてもうれしいことが起こりました。それは、あれほどパスのできない、あれほど単純に球を前に向かって蹴ることしかできていなかったブラールが、なんと味方にパスをしたのです。
思わず両手をたたいて喜んでしまいました。なぜならば「パス」は「相手への信頼」「人間の相互交流」の基本的な「動作」だからです。
球がきたらとにかく人のいない方向や、相手のゴールの方向へ「蹴る」ことしかできていない少年が、ふと味方にパスをするようになっていくわけです。
それはすなわち「チームでやっているんだ」という思考がその子どもの内面に宿ることであり、同時に「ひとりでは何もできない、だから協力し合うのだ」という方向性への第一歩になっていきます。
だからこそ、このブラールの「パス」という行動は、たとえそれが得点にはつながらなかったものであっても(実際にはパスされた少年がうまく受け止められずに、敵に蹴りこまれ、なんと得点されてしまったのですが)、ブラールという少年の内面ではとても貴重な「行動」になっていくわけです。
これが、こういったサッカーゲームがすなわち「心理社会的ケア」といえる最大の要素であったりする理由ですね。
結局ブラールのバハダールが勝ち、彼らは3位となりました。
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さて、いよいよ優勝決定戦です。
やはり本命といわれてきたシャヒーンとパキスタンの対決となりました。ここでJPF(ジャパン・プラットフォーム)から細井さんと馬目さん、JCCPから渡辺さんという強力な女性選手が投入され、一方で我がNICCOチームからは常連となった森尾が選手入りました。この多量の日本人選手の投入によって試合はどんどん盛り上がり、なんと3対3の同点で、ラスト1分!う〜ん、どちらもゴールならずで、引き分けになりました。
イランでのサッカー大会のように、PK戦にもつれ込み、双方が蹴りあってついに優勝をつかんだ |
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各チームが整列してカップを受け取ります。
優勝杯はまさに「シャヒ〜ン!」といって飛んでいきそうなミサイル方のものですが、副キャプテンのクンバールがとても大切そうに持っていたのが印象的でした。
おめでとう! |
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さて、こうしてサッカー大会は終わっていきました。
これは僕たちが手がける「心理社会的ケア」の一環、つまり心のケアです。
サッカーを通じて、「ルールを守れるようになる」ことや「味方にパスができるようになる」ことの大切さを伝えていきます。
それは、この密集型避難民キャンプでこれから生きていくための大きな力につながり、より安定した環境作りにも役に立つものだと考えています。
今後も「地球のステージ」はこうした被災された方々の心のケアもにらみながら、活動していく予定です。
明日は、キャンプ・ジャパンの河の向こう、完全に道路が落ちて孤立しているメラ・ポプルーサの集落へ移動診療で出かけます。
そして2月9日に帰国しまた10日から全国をステージで回りますので、よろしくお願いいたします。
「パキスタン震災復興篇」ができる日も近いと思っています。
一方、キャンプ内の診療所は4月末まで毎日診療を行い、移動診療は森尾看護師を中心にロジスティックス系のスタッフ、別段と共にこの医療事業を展開していきます。
今後とも大きな支援を、よろしくお願いいたします。
桑山紀彦(医師/「地球のステージ」代表理事)
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